立花孝志氏「逮捕が怖くて命絶った」と投稿も兵庫県警は完全否定 …… 信じる者が愚かで、律しようとしたものも亡くなる時代。

産経新聞の記事である。


彼は、「NHKから国民を守る党」の党首だが、やっていること言っていることは、虚偽煽動である。言論の自由で保障されている内容にも限度があり、この場合だと名誉毀損罪で立件も可能になるだろう。被害届けなどが出ていればだが、この者は野放しにしてはいけない。世間の正義感を逆手にとって、虚偽を広めるだけ広めて社会を歪め続けてきたのだから……。

兵庫県の知事が良いか悪いかというのは、県民が決めた事なので私的にはどうでも良いことだが、外から来て嘘を言い放って逃げて、各地の選挙を荒らしていくというのは、民主主義や立憲主義、自由主義の挑戦というべき行動である。言論の自由を一部の不遜な輩や、自分の願望や名誉のためだけに利用する輩に、歪められ本来なら言論の自由などが保障されるべきところを悪用して、嘘を振りまかれ、それが正しい議論などの萎縮や法改正の是非を生み出す流れに向かっていく切っ掛けを作ろうとしているなら、彼の行動は民主主義にとっては悪でしかない。

今回は、1人の倫理感があったであろう政治家を自死に至らしめた可能性が高いわけで、彼を盲目的に支持して拡散していた人々も、罪深い。ただ、日本では金銭の授受などがなければ、公職選挙法における煽動罪などにもならないので、許されている訳で選挙関連で捕まることはないだろう。一方で、虚偽を意思を持って拡散したなら、被害者がそれを投稿したSNSに氏名などの開示を求め、名誉毀損で訴えられる可能性は高い。例え削除していても、その証拠となるスナップショットなどが取られているなら、履歴管理は義務化されているので、悪質な場合は逮捕起訴されるだろう。

盲目的に信じるというのは、人にとってとても気持ち良く「楽」(自分で考えて善し悪しを決めなくて良いのは気持ちが良いのである)なことであるが、それが間違っていた時や人に極めて悪い害を与えたときには、取り返しの付かないほどの大きな過ちとなり、その身をもって償いが求められるほどの「罪」なのだ。

今の時代、我が子がそういう行動をするかも知れないし、いい歳した人がSNSに流されるかもしれないが、大事なことは信じることよりも事実を知るために調べ考えることである。ただ、その事実を知るために調べ考える手段にスマホのCookieベースやアカウント情報(GoogleやAppleアカウント、またはそれぞれのSNSやニュースアプリに蓄積されている検索履歴や閲覧履歴)で蓄積される一般検索などを使っていると、結果的に多様な情報を知る術を自ら捨てていくこともある。あなたへのお薦めの記事が上位に来るようになるし、あなたが拒否した記事はもう2度と上がってこなくなるからだ。

だから、新聞などの媒体を読むのも大事なのである。

それが出来ないとか、やりたくないというなら、ウェブブラウザを複数入れて、1つぐらいは履歴が残らない設定にし、ブックマークに新聞各社などのサイトを登録し、ログインせずに閲覧することである。そうすると、あなたの趣向の影響を受けなくなるので、ある程度は中和されるだろう。

これは、社会生活でもそうだが、あの子もやっているから、私もやって良いだろう……って、やって怒られたとか失敗した経験とかが1度ぐらいある人は多いだろう。本来は、幼い頃などに、そういう経験があれば、煽動に乗る率は下がるのかもしれない。今はそれにWebサービスがあなたの嗜好を読み取り、結果を出してくるというお節介な機能があるので、結果的に信じ始めると離れられなくなり、ドツボに填まることがしばしばあるのだ。それに下手に乗っかると気付いたときには、自分がおかしな側になっているという訳だ。

だからといって、テレビや新聞などの報道が全面的に素晴らしい訳ではないが、それの問題点は虚偽を沢山報道しているからではない。もちろん、誤りもあるし、その誤りだった場合の伝え方が悪いケースもあるが、そこは問題の根本ではないのだ。

まあ、彼らにも問題があるが、彼らが頑張ろうとしても、こういうWeb媒体の影響で報われない側面もあるだろう。日本で報道機関が持っている問題点は、3点だ。

1.自分達にとって分が悪い報道をしない
2.広告収入が下がる報道はしない
3.報道したい報道は長く感情的情報や意見を入れて報道する

このうち2は、広告収入で成り立っていた部分が減少していることと、新聞などは紙面の発行部数が減っていることが原因だ。だから、広告を打ってくれる業者が利益を得られそうな情報を報道に組み込むようになった訳だ。1は今のフジテレビジョンなどを見れば分かる。3は、本来なら報道(ニュース)はあったこと(事実)を伝えるだけである。しかし、日本は新聞も雑誌に、テレビのニュースはドキュメンタリーや情報番組やワイドショーになっているので、一部の報道を切り出して長く報道内で議論したり、意見を出すのだ。

結果的に、報道自体が最初から悪い方を決めつけて報道しているように見えたり、強く悪い者に罰を与えろという心を揺さぶるように投げかけてしまうことが増えたのだ。それが、一部のニュースを選り好みし選んで報道しているように見えるという側面もある。要は、報道するものに格と優劣が備わり、その中で優に選ばれると必ず意見付きで、善し悪しを最初から教えられているように見える(実際にそうなってしまっている)のだ。

これも、実は2が影響している側面がある。結局、取材する予算人員が減っているから、時間や紙面のページ数の割に、記事になるような取材数が稼げないのだろう。また、記者や編集の人材も不足するから、海外のネタなどを引っ張り込んで内容が海外のそれとは異なるものというケースも今は増えている。
その割にテレビに至っては、報道やニュース付きの情報番組が増えているので、コメンテーターが必須になっているというのもある。


こうやって、ちゃんと見極めれば、報道が単に嘘を吐いているとかそういう話にはならないのだ。報道は報道の中で何とかしようとはしているかも知れない。報道が嘘つきだという人は、これによって生じている負の部分を都合の良いように曲げて人々に認識させ、自分にとって不利にならないように利用しているだけである。そこにのったらいけないのである。

もっとも、報道機関もこの3点がどんどん悪化しているのは確かなのだから、何とかすべきだとは思うが……。
尚、フジテレビの話は別に記事にしようと思う。