海自ヘリ墜落、夜間訓練中の事故は過去にも…2機は夜間の対潜水艦戦の訓練に参加 …… 同じタイプの事故が多いなら訓練か教育に問題あり。

読売新聞オンラインの記事である。


こういう記事を書くと、一部の軍事マニアっぽい人が批判してくることがあるが、事実なので書いておく。
軍人だろうが、民間人だろうが、傭兵だろうが、訓練で死ぬというのはあり得ないからだ。防衛や戦争という任務で死ぬのと訓練で死ぬというのは、全く別格だからだ。日本は、民族的な部分があるのかもしれないが、自衛官(海外で言えば軍属の人)だと、有事に備えた訓練だから仕方がないと思う人が多いのは、戦前からの傾向としてある。

他の国だとそれ自体があり得ないことだけどね。軍属の人間は1人普通の兵士を育てるだけでも、かなりの時間と労力がかかるし、訓練で死なせるような訓練をしていたら、本当に有事が起きた時に、その訓練の成果は出ないからだ。訓練でも死ぬ状況で、本当に死線を潜るような状況になると、緊張度が更に上がる訳で、必要な視野を失うことがあるからだ。

だから、軍属の教育訓練で大事なのは、死なないことが大前提なのだ。だが、同類の事故が頻繁に起きているならば、かなり教育や訓練または機体の整備や装備かもしれないが、それらに問題があると考えられる。普通はこれが批難されるのは当然だが、今の日本はそういう点が甘い。だから、事故が頻発し結果的に改善が不十分になり、質が下がるという問題が起きている可能性もある。要は、事故が起きるのはある程度やむを得ないと思うようになると、事故が増え、事故が増えるのが当たり前になると、隊員もそういう訓練だと思うようになるわけだ。そうすると、その緊張感こそが訓練だと思い込む。

本当はそうではなく、索敵の質が上がることだったり、情報を収集する能力が上がること。そして、戦闘が起きていない(戦闘外)という状況で、任務で万が一にも死なないことが重要なのに、それが疎かになり、エリートなら事故しない見たいな空気に変わる。それは、訓練として最悪である。

訓練こそ何重にもセーフティが必要なのに……。

それから当該記事でもう一つ気になるのは「西太平洋海軍シンポジウム」への参加取りやめを決める必要があったのかや、同型機の利用停止をする必要があるのかどうかだろう。

前者は会議なので、参加しても問題はないし、これは1年おきに行われている会議なので参加すべきだと思うが、日本のこの事故だけを理由にするのは、どうしてなのだろう。シンポジウムの参加如何で、調査の結果が変わることはないだろうから、上が参加するのは構わないだろう。むしろ、半期に1度とか、年に一回ならまだしも、2年に一回のシンポジウムで平和を求める国として国際社会に防衛省(海上自衛隊)が、立場を示すことは重要だ。こういうのは、ちゃんと出席すべきだと思う。

後者は、操作間違い(オペレーションミス)によるものなら、同型機の飛行を停止する理由など無い。ということは、レーダーなど装備計器不具合によって生じた可能性が未だある事を示している。


訓練というのは、例え軍人でも死ぬ可能性が低く安全だから訓練と言われる。もちろん、それでもある程度のエリートになってくると、訓練の危険度は上がってくるが、それでも同じような死が何度かあるようだと、それは訓練としての改善が十分に為されていないだろう。危険な訓練だからこそやる意味があるという体に変わっているのだ。

しかし、軍人でも一歩誤れば死ぬような訓練をしていて、それを有事に訓練と同じだとやってしまうと、相手に攻撃されなくても操縦ミスで兵士(自衛官)は死ぬことも有り得る。それって訓練として既に成り立っていないし、防衛のためとしても既に本末転倒なのだ。


そういう問題では無く、日本国民の人口が減る中で、自衛官も集まらず昔に比べて適任者の質が下がっているから事故が起きているという社会構造による問題が露呈している可能性も否定は出来ない。この場合は、今後も事故は減らないだろうから、軍用機にはなかなか使えないが、近接時にオートで味方機との距離を保てる技術の実装などを考えるしかないだろう。濃霧訓練時だけそれを使うとか……そういう対処しかないかもしれない。そうなると予算が必要になる。