日本は米・韓より「偽情報にだまされやすい」、事実確認をしない人も多く……この記事で騙されやすさを計れるかもね!
Yahooにあった記事で、且つ読売新聞オンラインの記事である。一部原文は会員専用なので読んじゃいないが……。
これ、SNSで上に上がっていたので読めるところだけ読んだのだが、こういう記事が多いことこそ日本人が騙されやすい証拠かもしれない。
日本は大手大衆新聞社ほど自分達の記事や調査の在り方の不味さを棚に上げる傾向があるからだ。
この調査が一体どういうものだったのかは私には分からないから、この読売が示すものが見解として正しいかは分からない。
まあ、こういう中途半端なデータ公開を元に情報の真正性を解くならそれ自体が、「毒」でしかない。
一般に調査会社などが調査すると、少なくとも簡易詳細は公開する。どこをスライス(一面として切り取り)してそういう解釈になったかを誰でも確認出来るようにするためだ。しかし、国内の世論調査もそうだが大手の大衆新聞社でそれをある程度やっているのは、朝日新聞と時々毎日新聞ぐらいだろう。(ちなみに、日本経済新聞社とかは少なくとも世論調査に関しては少ない有効数のみで母数も示さないので論外である)
出来ているところでもある程度であって、全部ではない。米CBS NEWSなどの調査だとしっかり細かく設問から年齢層、さらに人口動態乖離率も公開される。日本はNHKすら乖離率を出さない。
即ち、日本はこの手の調査において公開される編集されたデータを見て信じるか、信じないかの2択しかない。
それだから疑うことも出来なくなるか、全部を疑うかのどちらかしかないのだ。ここではもう何度となく書いてきたが、基本的にデータや統計分析はデータのどの部分を選び取るかというスライスの仕方で、解釈を正にも負にも出来ることが多いそこを理解しているなら、当該の記事は騙される日本人が書いている騙される日本人向けの記事だ。
<統計を不可逆に抽象化して抽出しても構造上は「正しい」>
って知っているだろうか?
例えば次のようなデータ「農家の昨年の販売情報」というのを作ってみた。
昨年の収穫としてリンゴ500個、ナシが700個、ももが800個、サクランボが100房でした。一昨年はリンゴが700個、ナシが600個、ももが800個、サクランボが300房だったとしよう。販売単価は、一昨年はリンゴが1個100円、ナシが150円、ももが500円、サクランボ150円/房でしたが、今年はリンゴが150円、ナシが140円、ももが550円、サクランボが500円/房でした。
さてここまでを纏めると、
上記のような表になる。
上記の元データから記事はいくつも書けるということだ。
例えば、
去年は一昨年に比べて果物の収穫量が天候不順等よって前年を100%として87.5%で減少になりましたという記事を書くことも出来るし、
去年はリンゴが不作でしたというニュースにもなる。
その一方で、
販売で見ると去年は一昨年に比べるとより大きな売上げが上がったということも出来る。
桃は去年と一昨年で収穫が同じでしたとか……。
この他にもバラバラにすればいくつでもニュースは作れるし、いくつかを纏めて1つにすることも可能だ。全て同じデータ群を元にしている。元となるデータが見えないことで、それぞれを今週来週、再来週で異なる記事として出せば、その都度収穫や売上げに対するイメージが変わる。そして、何より問題なのが、上記で書いた記事情報から、元となる情報ソースのデータを可逆的に引き出すことは出来ない。情報が不可逆(元のデータに戻せないもの)となっているのだ。だから、現実として出た成果(証拠)が曖昧になるのだ。
凄く簡単に言えば、「果物の収穫量が天候不順等よって前年を100%として87.5%と減少になりました」からどの果物が一体どれだけ収穫されたかは分からない。「去年はリンゴが不作でした」から、一昨年に比べてリンゴがいくつ減ったのか分かる人はきっと超能力者かなにかだ。即ち、最初の情報から記事になった情報が数段劣化しているのだ。しかも、原文となる情報を出さないから、そうなっていることすら気が付かないし、気がつけない。
嫌らしいのは、その記事に書かれていることに嘘偽りという意味での「間違い(フェイク)はない」点だ。一方で詳しくて正確かで言えば、詳しくなく元の情報よりも不正確になっている。何故なら、本当はそのままの数や金額を示すことが正しいからだ。これをチェリーピッキングという。自己にとって都合の良い情報を引き抜いて出すというものだ。チェリーピッキングには抽象化することも含まれている。要は、100<101という数字の差があったとき、「少数」<「多数」に置き換えるというケースもあるのだ。小数点以下を四捨五入するだけでも場合によってはチェリーピッキングで大きく意味合いが変わることもある。
これが、日本では報道機関に限らず横行しているのだ。そして、原本の数字は出さずにグラフなどに編集して示す。そうするとどうなるかというと、「信じるものが救われる」みたいな話になり、「信じないのが悪い」や、またはその正反対の認識が生まれてくる。根拠が曖昧だけど、ブランドが根拠になっていることで、それが信用にされるという法則が、報道でもまかり通っていると言うことだ。
それがこれだ。
大元が最初から示されないなら、示される一番最初の情報元(ソース)が一次データ(原本)であると信じるしかない。そのブランドで決めるしかないのだ。そうなると、不完全な情報でも信用出来ると思ったブランドからの情報なら信じたくなる人はそれを信じる。そういう人は、みんな(自分の知人友人)が知っている比較的信用出来そうな拡散情報を信じる傾向も強い。だから、自分の周りが信じていると信じてしまう傾向があり、結果的に集団の心理に流されやすくなるかもしれない。(バイトテロとか、ホテルや旅館で暴れて写真をSNSに上げて炎上するとか)
一方で、それが原本に見えない人や1度でも騙されたと実感したことがある人などは、それを信じないのだ。即ちブランドとして信じない人と、根拠があって信用度が今は低いと見る人が混在する訳だ。そのうち、一部の人は別の信用出来そうなデータや同じような不信を抱いている人の情報を探すことになり、結果的に、今度はさらにこっぴどく騙される事もあるかもしれない。残りの人は最後に説明する。
この絶妙なところが、日本人が偽情報に対して弱い所以だ。報道も偽情報っぽい感じで情報を小出しにしたり、肝心要の部分を出さないから……結果的に信用の核心が多くの人に届かないのだ。
それが、信用の低下を膿(生み)出し続け、危険な情報にも手を出す人が増えるわけだ。膿としたのは、本当に化膿している膿のようなものだからだ。しっかり報道機関など情報の元になる組織が、一次データの扱いをしっかり考えてくれないと、そしてそれが重要と理解してくれないと、化膿で消毒や治療をしないと悪化して行くの同じでこれも悪化して行くのだ。
<分かり易いが招く抽象化の罠>
ちなみに、この手の抽象化の仕組みは人にとって考えなくても分かるという点で分かり易さに繋がる手法の一つである。
元々人の性質として、要点だけとか、大か小かみたいな結果だけ示した方が、人々は飛び付きやすいのだ。
人々の論理的思考は、常に考える方向に向いているわけではないからだ。興味があれば考えるが、無ければ考えないで答えだけ知りたいはずだ。それが分かり易さという抽象化の罠を作る。
抽象化されることで分かり易く統合されていくのは、脳の構造的にもそれが理解しやすいからである。
どういうことかというと、
去年リンゴ500個、ナシが700個、ももが800個……
一昨年リンゴが700個、ナシが600個、ももが800個……
と並べられても、そこから重要なことを抜き出せる人は、少ないということだ。それに関係する仕事をしている人なら、確かにここからいくつも情報を読み取れるだろうが、たいていの人は単にそうなんだ~になるか、読み飛ばすはずだ。だから興味を持って欲しいニュースにしたいなら、「去年はリンゴが不作でした」「景気に影響」「天候不順で地球温暖化が原因か」とか、前後にキーワードを入れて示すとそれに興味がある人は誘われるし、要点が分かるから興味を持ちやすい。
それが、果たして本当にそのままの意味を持っているかは別だ。だって、統計データしかないのに、リンゴの収穫が少ない=天候不順とは限らない。景気に影響って、個数が減っても販売単価が上がって売上げが伸びているなら、良い方の影響だ。物価高が影響して高くなったという点では、消費者には厳しいかもしれない。その見立てをどちらに取るかもまた違う。
こうやって人の判断は変わるが、記事で方向性をどちらかに示されたり、本当のデータよりも文字だけ、グラフだけなどの切り取られたものだけになると、なんかその方向に向かって答えが繋がるようになる。それを避けるために、調査物の場合は特に元のデータを付録して添付する必要があるのだ。
それがあれば、例え記事で多少方向性が示されていても、他の捉え方も出来るからだ。専門性を持った人や根拠について気になった人が、確認することも出来る。査読するというわけだ。だけど、見る人は少ないとかいろいろ訳あって、それをやらずに文字だけ、編集した一部のグラフだけなどを使って示すと……本当に書かれていることだけの価値しかないのか、または、それが本当に大事な要点の部分なのかは分からなくなる。
これが抽象化の罠だ。本来、元のデータがあるならそれこそが核心であるため、絶対にそれを隠してはいけないが……何故か日本のメディアはいつしかそれを出さなくなったり、隠すようになった。それから時間が経過して今……もう新聞は分かり易い、知名度が高い、信じるに値する情報を流してくれている。だから信じるとか、それとは真逆だから信じないとか、いわゆる神様がいるかいないか見たいなアバウトな領域にはいった。
そして、「どれにしようかな神様のいうとおり」というそれで見ているから、騙されるか騙されないかが紙一重になる。
<結局新聞も性善説頼みに隠す記事構造だから読者が減り>
新聞を見限った読者が、あたかも信用出来そうな情報ソースに飛び込んで、それに飲まれ火傷したり、陰謀論に飲まれていくを繰り返す。それが、今の日本だ。本来は、特に大手の新聞ほど、こういう統計関係はもっと元となるデータをしっかり出さないといけないが、それを中途半端にしか公開しないから疑心暗鬼を拗らせていくこともあるだろうし、記事が小出しにされて本質が見えないことで、それを説明するはずの記事が偽と言うこともあるかもしれない。逆に何でも大手とかブランドとかを信じすぎて、特殊犯罪のようなものに乗せられ易い人もいるかもしれない。
そもそも「シンブンシャウソツカナイ」という前提などなく、嘘がないなら全部公開した方が評価されるのが海外の民主主義国家における報道機関の在り方なのである。
新聞だって間違いは犯す。日本に限らず海外でも間違った記事が流れることは年に数度はあるのだ。大きなものじゃないなら、軽く記事上(紙媒体なら後日の紙面)で謝罪などが入るだけだ。日本も海外も……訂正してくれるならある程度は信用出来るが、絶対ではない。
そこはどちらも同じなのだ。
この記事は、
<本当にその情報は最初の発信源として適正か?
を記事を持って証明する教材記事だが……
真偽を鵜呑みにするなら騙されやすい日本人の証拠>
というのをしっかり示している。書いている本人もそれをミスリードとして示すために書いたのでなければ、きっと典型的な騙されやすい人である。
日本の場合は、新聞社や報道機関全体の信用度が他国より一段低い事にあり、その根幹がこういう記事の在り方にあるという点を記者が理解して居ないことにもあるのだ。
何故そうなってしまったのかというと、こういう統計的なものを使う記事が、微妙に詳細が隠れているからであり、その割に何かに方向性を向ける傾向があるからだ。最初から新聞社主催なので、新聞の在り方という観点での調査ですというなら、新聞を使っている人ほど騙されにくいでも良いが、そうじゃないなら、複数の情報元とは何か、騙されやすい人の傾向がSNSならばどのSNSが関係していそうか?世代はどういう人々に多いのかそういうところもちゃんと出して行くのが妥当であり、そこまで詳しくアンケートや世論調査で調べているかどうかという透明性も大事だったりする。
即ち、当該の記事自体がある意味で、日本の人々が偽情報に惑わされる原因の1つを体現して抜け出せない理由まで証明している恐れがあるのだ。
もちろん、当該記事が明らかに間違いとは言わないし言えないことも大事だ。
当該記事は、多分、データとしての根拠があるから記事になっているはずなのだ。ただ、その統計データを可能な限り集計元の状態で公開してくれていないので、誰もこのスライスの仕方、説明の仕方が正しいかどうかは分からないが、間違いだとも言えないのだ。だから、この記事において、これは間違いだとか、おかしいとか言う人も騙されやすい日本人の1人であることを示している。
これは、ちゃんと調査しているのかもしれないが、出している情報だけで見ると、結局「信用するか」「信用しないか」の2択が新聞というブランドとその他大勢のどちらが信用に値するかだけに落ちてしまった悲しい記事である。ある意味で、調査結果の根拠が乏しくなり、しっかり調査しているなら勿体ない記事だろう。日本はその程度の情報しか報道機関も流さないし、情報の受取手もブランドや人物を信用するか、はたまたしないかぐらいしか考えちゃいないというそれをそのまま表しているだけに見えてしまう訳だ。
これにもし報道としての意図があるなら、報道は絶対的に信用出来ますよと言いたいと言うことなのかもしれない。
逆に、統計を元に情報の見方を伝える方法そのものを、記事書きが理解していない単なる同じ穴の狢だったという記事かもしれない。
何か不都合なものを隠している可能性もある。私達が想像している以上に細かな(年齢、宗教、性別、所在地、学歴、スマホの利用時間など)調査が行われて、分析した分かり易い説明がこれだったという可能性だってある。
そのいずれなのか、何も分からないから、まあそういう報告もあったよ程度の話である。信じるか信じないかあなたの心次第だが、まあこの情報だけで見るなら、信じるには情報が足りないし、信じない根拠もないから「保留」または「そういう調査を読売と大学准教授がしたらしい」というぐらいで軽めに判断が出来る人が、偽情報に騙されにくい人かもしれない。
まあ、新聞の紙面などにはもしかすると、詳しい詳細の調査結果があるのかもしれないので、そっちで示されているならその限りではないが……(見た限りでは執筆時点ではそういうデータはないっぽい)この先出てくると良いな。出て来ないなら……信じる人にも信じない人にも毒になるだろう。
どちらにも捉えられない私のような人間は、モヤモヤするだけであり、結局、新聞社がこういう中途半端な情報を出すから、信用が無くなってんじゃない?と今後も思うだけだろう。
いろいろな意味でこういう残念な姿が今では頻繁に見られるのが、大手の大衆紙である。