「。で終わる文章は威圧的」 若い女性の4割「マルハラある」と回答 …… 君たちは日本語をどうしたいの?廃れさせたいの?

朝日新聞デジタルの記事である。こういう年代に関わる日本語絡みの記事が、大衆紙において凄く多くこれそのものが日本国民や日本語の体系に対する認識事故に向かってまっしぐらなように見えるので書くことにした。


最近ここでは、朝日や読売などの大手紙の記事を書くことはなくなってきたのは、こういう変なものを引っ張ってくることが増えているからだ。そもそも、文末に句読点を持ってくるのは当たり前である。

そして以下の記事もそうだが、「!」で期待とかどういう認識なんだろうかと思う。一部の人の気持ちを引っ張るなと言いたい。

exclamation(!)は、大きく発狂(語気を強くして叫ぶ)ことや、強調するときに使う感嘆符だ。

普通使うなら「ほっといて!」「バカにすんな!」「凄い!」とかに使う。まあ、強調に使う事もあるので全部が全部じゃないが、例えば、「これやっといて!」なら、むしろ威圧されていると誤解する方が自然だろう。「期待をかけられている」なんて思い込むことを、記事がまるで容認しているように示すのが凄い。多分、飾り文字(絵文字)で!が大きく出来たり可愛く出来たりするのを見て育つとそう認識してしまうことがあるのだろう。

本来なら、こういう語彙の扱いを記事は、元々の文字列が持つ役割を示して、世間と共通化していく努力が求められる。世間にただ投げるだけじゃダメなのだ。何故なら、世間が困惑するだけだからだ。

しかし、新聞社やテレビ局など大きな影響力をもつ報道機関や調査機関、研究機関、大学などがどう感じるかだけを取り上げ続けている。おじさんおばさん構文などもそうだ。本来別におじさんだろうが、おばさんだろうが、方言だろうがそれはそれで良いのだ。いちいち、これは○○構文だとか、失礼だとか決めつけるなという話だ。もし、失礼とか礼儀とかに問題があり共通の改善が必要ならば、改善すべき点だけを的確に示して、世間に浸透させてくれないと皆が迷うだけなのだ。

それを元に多様性のための配慮をしろみたいない記事を書くだけ書きやがるせいで、上司や下手すれば同僚や友人さえも、文字の使い方や発言の仕方に苦力するだけという酷い状況を今の日本社会では産んでいる。



<言葉の違いを扱う「だけ」の記事を全国に流すな>

これは本当に
お前ら報道機関は本当にいい加減にしろ!と言いたい。
これは期待のexclamationではなく、激怒のexclamationである。

何で、句読点は句読点であり、そういう意味はもたないのだと伝えて、皆の認識を合わせようとしない。本当ならそれこそ文字や声で情報を伝える報道機関がやるべき最初の仕事だろう。世の中もこれにも配慮しましょう見たいな認識にするような記事を書いて、ハラスメントですって馬鹿なのか?お前らとしか思えない。

この記事を書いている記者やそれを許した編集者は自分で自分の首を絞めているとも思っていないの?

最終的にそういうことをやって文字や音声映像で情報を伝達する業種であるあんたら一番ダメージを受けることにもなるだろう。最も既に世間の人々はそれを痛感し始めているはずだ。日頃から上司や部下、先輩や後輩、友人という関係を持つ世の中の全ての人が、こういう報道を見て戸惑いはじめているからだ。


<調査の目的がネガティブなら
     改善策も合わせて示すべき>

これは、調査している大学など研究機関にも言えることだが、それを調べて何をしたいのか?報道に取り上げてただ広めて嬉しいなんてことなら、迷惑以外の何ものでもない。報道で取り上げて、世の中の認識を合わせるために使って欲しいなら、報道機関がそれをやらないことに対して調査した側も声を上げてくれないと困る。

そういうところを、はっきりさせてほしいものだ。

このままじゃ、日本語は本当に面倒な言葉でしかなくなる。句読点まで配慮して、exclamationは欧米圏とも違う意味合いで認識して……それを放置して、混沌以外の何でもでもない。日本人すら報道が若者だ、おばさんだ、おじさんだと意味不明の構文を笑ったり、罵ったり、終いにはハラスメントだと言われて、じゃあどうしろというのだと悩むほどに意味不明なハラスメントや構文を語る記事が全国向けの大衆紙に踊るのだ。これを、文字列で情報を伝える日本語のプロであるはずの記者共がおかしいと思わないとすれば、日本語はもう長く持たないだろう。

外国人から見れば、日本語はどんどんおかしくなる言語として研究対象にしたい人もいるかも知れないが、積極的に学んでという話にはならない。そのうち面倒な言語配慮文化があって、それぞれの人で文字や句読点の意味合いが違う。言語コミュニケーションとして壊れた言語となり、母国語以外の言語として覚える理由もなくなるだろう。

日本人は数は増えていないし、日本人も言葉や文字で伝える感情の配慮に苦慮するとしたら必要性がある言語ではなくなるのだから。