小学館 芦原妃名子さん急死の経緯、社外発信の予定なし 説明会受け、社員からは反発の声も …… シナリオのアテが外れると風化を待つ国。
スポーツニッポンの記事である。
ここがこれほど扱うのは、最初の頃に扱いはじめたからということと、スポンサーの影響が少なかったのだろう。まあ、キー放送局などの影響も少ない毎日系のスポーツ紙というのもきっとある。
もう、これは完全に風化待ちへと会社サイドは転じたことを意味している。もっと言えば、既に作家なども発言が減少してきており、そろそろ関係者に相応の圧力が入りはじめたのかも知れない。結局のところ、大きな報道機関が報道を続けてくれないと、この話は消えていくが、その大きな報道機関が報道を続けないので消えていく流れが続くからだ。
もう一段深く差し込むには、週刊誌辺りが何か特大の動きでも起こすか、親族や関係者が訴訟でも起こすかのどちらかしかないだろう。その辺りにも既に手を打たれているなら、どうにもならない流れだ。日本は、悪しきモノに蓋をするのに、報道機関であるテレビ放送局が入っているので、戦前の日本よりもある意味で危険な感じだろう。何故なら、一見すると平等で報道の自由や、思想の自由があるのだが、ある神様(力のある権力者)の逆鱗に触れれば、その思想や平等の精神が正しく権利が保障されていても、その人の一言でその話だけは、許されない行為と見なされる国だからだ。
その基準が戦前なら天皇や帝国議会を元にした国是だったが、今の日本は発信力や資金力において相応の立場にいる俗物なのだから。
海外でもそういうことはある。しかし、普通は報道機関にそういう実態を伝えると、報道機関が調べてそういう行為を行った話について特集し守ってくれるのだが、日本は報道機関の中の芸能やエンターテイメントですら自浄出来ない訳で……自分達にとって利益になる相手を選んで放送するというスタンスがもう透け始めているのを隠さない。それは即ち、下手すれば正直で真面目で不正を告発した自分が世間の敵扱いされることも有り得るぐらいに、気分(利害関係)で変わることを意味している。
法の下にある倫理的な正義は少なくとも報道の中や企業の一部の中には既にないということだ。まあ、裏金とか統一教会の問題があれなのに、まだ内閣が持っている自由民主党というどこが民主的なのか分からない。まあ、帝国議会でも立憲自由党(自由党)とか合ったわけで、名前が自由民主党でも自由で民主的な政策を本当に考えた政治家の集まりかは別問題だろう。
それが、報道などあらゆる部分で同じ腐った根っこで繋がっていると思えば、これもそれの1つだということだろう。特に日本テレビは、国内の民放視聴率でNo1なので、認める必要もないし調べる必要もない。もっと言えば、日テレが調べないなら出版社もそれを調べてはいけないという雰囲気になっている恐れもある。
どこも、結局広告収入などの減少による影響が出てきているのだろう。
ニュースなどの番組そのものが広告の役割を強めていくから、こうなっていく。これが結局、報道を報道から逸らす効果を与える。スポンサーなど関係企業や個人の問題を伝えられなくなり、関係している企業や個人の問題を伝えられなくなるから、腐っていく。そして、その腐った根が、結果的に報道機関にある他部署の問題すら伝えられない状態にしてしまう。それでも、その放送が成り立つのは、結局、見る人がいるからである。それがその人にとって楽しみや暇つぶしを一時でも提供していると思えているなら、それは成立し続ける。
それを崩すには脱テレビ、脱テレビ番組(TVerなどを含む放送番組を見ないこと)に動くしかない。まあ、実際に私は活字を読むことや、海外のニュースとかを見ることの方が最近は増えているし、テレビを見なくなった分だけ体を動かしたり、音楽を聴いている時間やAmazonなどのビデオサービスを使っていることも以前より多いので、テレビが唯一の楽しみという流れから離れる方法はいくらでもある。ただ、それをしない人が多いから続いているだけなのだろう。
これに限らず、報道に問題があると思うなら、見る報道で質が悪いと思うものからは距離を置くことを考えるのではなく、実行することである。別に、完全に絶てとは言わない。私も、新聞社のサイトは自分が好みではないところでも、ほぼ毎日、軽くは見ている。そうすることで、客観的に見てどこに問題があり、事件や事故は何故起きたのか?犯人があることなら犯人は、どういう意図でそれをやったのかなどを考えることは出来る。しかし、それをテレビ等で事細かに説明される必要はない。情報は、知れば良いだけで、その説明は必要なら図書館でもネットで経緯を調べればよい。専門家と称する人が自分本意の説明をする必要など無い。
今回の件だと、報道は当初一方的だったことからも、そういうことが繰り返されてきたことの証であることが分かる。だから、事実だけを伝える報道が求められる訳だが、それが一番存在しないのが今の日本ではテレビ放送である。こういうもののはずと台本なのかそれとも、素でそうしているか知らないが「脚色」されているのだ。そのために脚本家がいるのかもしれないぐらいに……。
そして、その脚色が自分達の都合から外れた場合は、「風化」を待つのである。それに従うのが、それに関係している企業になっているのが、日本だとしたら……この国はもう民主国家ではないのかもしれない。いや、逆に言えば脚本家が守られるのは、報道すらも脚本によって作られているとしたら……それこそ、事実を(語る脚本)は小説よりも奇なりであり、それを信じる人々は考える頭脳を持たない生き物よりも、馬鹿なのかもしれない。
何より、風化を待つというのはドラマ、映画、小説、漫画、アニメなどあらゆるものにおいて描かれる定番では、滅び、消滅、負け、敗訴、敗北、衰退、そして悪役などに関わる最悪の手段であることを忘れてはいけない。だから、組織の中に反発が出るわけだ。ただ、その声が小さいとか、押さえ込んで小さくなっているとしても、それで押さえ込まれた人々で優秀な人々が、その会社のために努力しようと思うかを、経営陣や投資家、金融機関等は良く考えて先を見ることだろう。