友達との思い出写真は「加工後の顔」ばかり 元の写真も残せば…高校生の後悔……人に魅せるものと、自分の思い出は別物!
Twitterのトレンドに上がっていた記事である。Yahooに上がっていたようだが、元は高校生新聞の記事である。
そもそも、加工しなくてもスマホで撮影すると最近の画像は本来の画よりも若干コントラスト比を高めに出すようにプリセットされている。
その中でもっと派手になんてやると、色が潰れ偽色が載るようになる。ただ、最近のスマホカメラは高画素の4800万~2億画素なんて製品もあるため、画素収縮させるとそれもある程度改善されることがある。それでも、怪しいと感じるなら写真を撮影することが多い人は、Exif情報を見て本当にそれが撮影出来るカメラ条件で撮られたかを見る訳だが・・・。
ちなみに、上記の新聞に書かれているお城の写真は、補正をかけ過ぎてposterizeになっている。風景画として見るなら評価される画であり、写真ではない。通常、編集せずにああいう実写画像が撮影出来ることはないだろう。特殊なフィルターレンズを使えば別だが……この加工後を綺麗と思うとしたら、ちょっと変わっていると私は思う。
通常は、加工前の方が綺麗である。どうしても、これをもっと華やかに見せたいなら、上の曇天だけを青空に合成するのが妥当だ。
転載禁止なので、実際にやってみせることは出来ないが、パソコンやタブレットならレタッチソフトで出来るだろう。尚、画像のコントラストを変更する必要はない。
但し、これを思い出として使えるかというと、使えない。何故なら、曇り空だったこともまた思い出だからだ。これを編集して青空にしたらどうなるかというと、その時は曇天を覚えていても、年齢を重ねた先で、加工したことを忘れて記憶が捏造されてしまうことも有り得る。これは、年を取ってくると分かることだが、人の重ね合わせ記憶の欠点が、偽の写真で偽造・捏造されるのだ。2回目に行った時と、その当時の記憶が重なったり、映画やドラマ、テレビ番組などで見た映像と重なっていき、記憶の混濁が少しずつ積み重なっていく。
特に思い出というのは忘れる(思い出せなくなる)ことはあっても、同じ時間を同じ人と同じ年齢でもう一度経験することは出来ないものだから、大人の記憶野が持つ重ねる記憶方式では、どうしても同じようには覚えていられないのだ。
だから、写真や映像というのは編集せずに原本の写真や映像を持つことが大事なのである。
<人に見せる映え物と……自分の思い出の差>
そもそも、今の写真や動画には各種役割の差がある。例えば、人に見せる(魅せる)写真は、例えば浜辺の夕日や朝日の逆光の後ろ姿で手を繋いでジャンプしているシーンとか、良い写真になるはずだ。
しかし、話が弾むのは、この写真の前に撮った別の写真や練習失敗写真の連続が残っていると実はそっちの方が、10年後には必ず話題に出来る。たいていの人は失敗した写真とか削除するが、逆に10年経つと一番良かった思い出のシーンよりも、その思い出のシーンに辿り付くまでの過程が鮮明に呼び起こされる未編集や未削除の情報の方が、その仲間内ではポイントが高い。
これは、ぼけた写真でも記憶には影響を与えるという話だ。昔のフィルムカメラだと時々ぼけ写真があるが、それらもアルバムに収まっていたりすると、その話が出来るということもあるのだ。今では、デジタル化されたことで、簡単に消せて最善が残り、映えを残すとか、映えないなら加工して盛ればよいという時代になり、結果的に本当の記憶にも記録にも残らなくなる。捏造されたり、美しいだけのシーンが残るのだ。
まあ、データ量が多くなる最近の写真は残すのにも大変だが、解像度を落として残して置くという手もあるだろう。
一番良いのは、形として残す方法だろう。