「サクマ式ドロップス」製造元が廃業に追い込まれた、これだけの理由 …… やっぱりいまいち。

ITmediaの記事である。


この内容を見て思うのは、外部から役員を入れれば、果たしてこの会社は上手く行ったのか?技術や多角経営以外に何をすれば良かったのか?を考えて居ない時点で、どちらにしても潰れたという話になる。ビジネスの視点を全く別の業態に変えればというなら、そもそも、それだと今、サクマ式ドロップスが残ってくれたとは限らない。この会社がドロップス一本だからこそ、惜しまれているという見方も出来るからだ。

そもそも、廃業に追い込まれた理由なんてのは、内情を見ればいくつも出てくるだろう。
それを、あの時こうしていればという話をしたところで、その先には今とは違う別の分岐がある訳で、もっと早くに潰れる可能性もあった。
じゃあ、今からこの会社を救済する手段があるのか?金さえあれば継続できるのかというと、多分無理だ。

廃業を決めたから今は、在庫が飛ぶように売れたり、高値で転売される状況にあるのかもしれないが、多分、会社は続くとなればまた売れなくなるからだ。それは、惜しまれていても、結局は市場原理として見れば、役割を終えたか、退場を求められたのであって会社としての事業存続は不可能であることを示す。

そして、それが昨今の経済情勢(物価など)の影響でと社長が言っているなら、それがもう何年か続ける積もりだったなかで廃業を決断した理由になるわけだ。


尚、中小企業は同族経営だから、糞詰まり易いというのは発想として甘いと言える。大企業でなければ、同族の方が環境変化に強いからだ。

どういう意味かというと、そもそも大企業になると、会社としては存続していても、中にある事業、商品、ブランディングは変わっていくことが多いからだ。大きな会社は、中身は同じブランドでも、実際に作っているもの質や材料が変わることもしばしばある。それでも、大手という信頼が成長を支える。そして、それが売れなくなればブランドを統廃合して終わらせたり、他のブランドの一部にすることもよくあることだ。

これが、会社としての存続性を伸ばす一方で、商品としての存続性はむしろ下げることがしばしばあるのだ。

一方で、中小企業(同族を含む)というのは環境変化に弱いと思われがちだが、実はその気がありブランド力があれば、小回りが利くというメリットがある。サクマ式ドロップスのこの会社がその一例だろう。この会社の場合は、過去の内容から見れば、数々の挑戦をしているわけだ。だが、実らなかった。これは、社長の一存で決まったとは思えないし、取引先や販売店などともいろいろ相談したり、販路、販売方法などの話をした上で、戦略を打ったはずなのだ。場合によっては外部のコンサルタントにも頼んでいるかも知れない。それでも上手く行かなかったなら、誰にも対処が取れなかった実例となる。

今は、こういう中小企業が急増していることは知られていない。いわゆる二進も三進もいかないという奴だ。
何故そんな事態になるのかというと、資本主義での自由経済の発想では、市場が広がらないなら、徐々に事業者同士が過当競争をして負けた企業が消えていく定めにあるからだ。日本は、その状況に入って30年(生産人口の頂点は1995年である)ほど経過しており、もう凡そ1世代(20~30年)分を政治も社会政策も上手く行わずに捨ててしまった訳だ。

そうすると、企業は廃業するしかなくなっていく。優秀な企業なら生き残れるではなく、優秀で意欲的だった企業でも、資本が急激に衰退し、赤字で借金が膨らむ前に廃業する方がマシという状況になるわけだ。

尚、この記事に足りないのは、ブルーオーシャンに導く必要があったとは書かれているが、各種転換点でブルーオーシャンが何だったのか示していないことにある。例えば、メディケア用の飴で80年代失敗した。それがブルーではなかったとして、何だったら良かったのかだ。

私が思うに、メディケア用の飴でも成功するチャンスはあったと考えている。この会社が行ってきた古くからあるフレーバーのバリエーションをさらに増やしたり、いっそ飴ではなく水飴として売るとか、冬場のスポットCMの本数を増やして知名度を上げるといった手法で、成長した可能性はあるだろう。また、缶に入ったサクマ式ドロップスを贈答用などに限定し、安く大量に売る方法を模索すれば、成功した可能性はある。また、他社や他業種とくっつく方法もあったかもしれない。

但し、これで一端は業績を伸ばしても、結局今廃業した可能性はある。そうなると、理由はこの記事に書かれている原因ではなく、実際に口頭のあおりかもしれない。そして、最も恐ろしいのは廃業を決めたこのを惜しむ声に繋がるかだ。実は、最後に残っている事業が一本足だったからこそ、評価されている企業という面もあるからだ。

<自由資本主義と自由経済>

日本の企業が生き残ることを考えると、もう海外に出て行くか、国内で残るなら本当に縮退に合わせて事業を縮めるか、または複数の企業で纏まるかといった手段しかない。それでも、多くは消えていくだろう。日本の一番の問題は、ブルーオーシャンという言葉を海外かぶれで入れる人が多いが、そもそも高齢化していて、人の数も減っているため、先が細っていることにある。

新しい産業は常に生まれているじゃ無いかという人もいるが、そうじゃないのだ。
そもそも、新しい産業を好むのは若者であって、高齢者じゃない。私達、中高年などもう新産業の製品より古い製品に固執し始める年齢なのだから、新技術を見て古い物と比較してしまう存在だ。若いときは、古い物と比較などせず、そのまま使って便利や素晴らしい、ワクワク、ドキドキというものを味わう。

これが出来る人が少なくなった国で、海外で成功したものが日本に流れ込むことも増えていく。日本で、同じ事業をもっと早くからやっていても、日本で金をかけて成長させるのと、最初から海外で始めて、日本に流入させるでは、後者の方が今となっては、短期間で成功する可能性が高く、利益を生み出すものになっているのだ。

これが高齢化によって自由資本、自由経済が弱っていき、何をやっても結果的に消える企業が増える原因だ。そういう点では、ブルーオーシャンは日本だけでの成長を狙っている企業にはもう既にないのだ。無茶苦茶優秀で、優れたコンサルや実業家を使っても、今日現在より明日の方が売る相手の数が減り、明後日の方がもっと減るなら、その市場は例えこれから売れる商品を携えた企業でも、危うい市場に成り得る。

これに、大きな市場変動が重なれば当然だが廃業率は上がる訳で、今、多くの内需型企業が抱えている苦悩が、これになる。
ただ、政府はそれに対して何年も金を蒔くという手段で延命をさせている事業もあるので、それが途絶えた時にはかなりこの国では痛みと軋みが生じるだろう。

ちなみに、私がよく舐める飴はカバヤのフルーツのど飴である。


内需中心なら、これからはとにかくどこかを潰す覚悟か、またはどこかとくっつく覚悟で生き残るしかない。それが、無理なら廃業を選ぶことになる。日本では、中小企業の後継者がいないから、それが問題だと政府などが認識して対処しているようだが、そもそも、今日本が書かれているのは、後継者不足とかそういう質の問題よりも、会社の数に対して市場の縮小が恐ろしい程に進んでいることの方が、重要だ。

それに加えて、今は物価圧力が上がっており、大企業が中小企業を原価削減のために締め上げるケースもある。
この負のスパイラルに対して、同族じゃなければとか、あの時こうしていればという単純な流れはない。ある意味では本当に結果が全てであり、端から言うより、衰退している社会で生き残れたかも知れない現実の選択肢は、数少なくなる。

強いて言えば、政治政策として物価高などにならないための施策を各国政府、または日本が単独で取っていれば、今この会社が廃業を決めていることは無かったかもしれない。来年再来年も続いたかは分からないが……。

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