所得税「金持ち優遇」に賛否 政府税調、金融税制を議論 …… これに賛否を言う人含めて、焦点(争点)が狭すぎて論外な国。

共同通信社の47NEWSの記事である。


発想が幼稚なんだよこの国は。何で全体で見ないのかねこの国は……だんだん仕組みが複雑になり、一つ一つの議論が分かれてきているのも問題なんだろう。

ちなみに、現在税金でやっていることは、分配と言う名の社会整備である。その昔は日本でも長者番付という高額納税者の氏名が公開される制度があったが、個人情報保護の観点から廃止されたという歴史がある。まあ、税の使い方は特定個人や法人方向に向かい悪くなっていくし、個人情報保護も厳しくなり、廃止されたのだ。

それはともかくとして、
税金は現在所得税に限らず、固定資産、金融資産、消費物、サービス、贈与、環境などに総合的に課税されている訳だが、税が何を意味しているかの本質を知っている人は日本では既に殆どいない。たいていの人は、金持ち優遇だとか、金持ちを追い詰めて……とか、低所得者の税率が高いだとか……そんな話や、使い方が云々という話になっているわけだが、そんな江戸時代の年貢米に不満を漏らすようなレベルで文句を言う国は滅びるのが早まるだけだろう。結局、民衆がいつ一揆を起こすのかという状況になっているのだから。


税金の本来の役割は、豊かさの可否とインフレーション、デフレーション許容の指標であり、年間幾らまでの所得を国や自治体が認めているかを示すものである。それを超える額になると、税金という形で回収され他に回されることで、社会分配が成立し、結果的に経済が回るという仕組みなのだ。ただ、今はそれが全く機能していない、多分、安倍政権の頃もその前の民主党時代もそうだがその辺りも知らずにやって来たのだろう……今は、税調の専門家すらそれを理解しているのか疑問符が付く。00年代ぐらいまではある程度はいたんだろうと思うが……。
何せ、使い先がデタラメで、集め方も滅茶苦茶、税金に群がる企業と税金払いたくない団体、組織、個人をお得で肥やしているからだ。しかも、下手すりゃ外資が儲かるのだから、手に負えない。

日本の税金はこれまで累進課税については緩和されてきた歴史があるが、これは世界的な風潮に合わせた上で、物価が上昇することを加味して、もともと嗜好品に掛けられていた物品税を全体に広げる消費税を導入してそれを財源にしたことが理由でもある。ただ、それが逆に言えば、海外に資産を貯めるという方向に向かった側面もある。

尚、インフレやデフレ、物価という面での効果は、年間可処分所得の政府平均目標が400万円までと仮定しよう。
この場合は、400万円までは税率最も低く抑えられる。それを超えると所得税率は累進課税で上がっていき、所得目標の上限が例えば10億だとすれば、10億円/年の時に最高税率に達するというものだ。物価が低いときには、この上限を上げることで、物価を上げることが出来る。逆に物価が高くなるとこの上限を下げて税率を上げることで物価を下げることが出来る。これも、一つの貨幣運用の方法である。

尚所得税の上限、現在は、45%である。昭和61年までは70%だった。住民税などを加えると最大88%まで課税されていた。現在は、55%である。

基本的に、まともな国ならこの年間可処分所得の目標額が生活が貧しい人との境界線として扱われ、それ以下の人は何らかの支援を申請すれば受けられる可能性がある人(もちろんこれ以外に条件はあるが、これ以下が絶対条件)になる。

国家にとって税の上限目標とは何かというと、年間で一番稼ぐ人の目標額で、それを超えると貧富の差によって経済が衰退すると想定される金額の目標値だ。それ以上に解離する場合、その人やその家族・親族がお金を回さずに手元に持ち続ける懸念があるラインだ。これが余りに多いと、経済力が低下し、国は100年も持たずに衰退したり分裂したり、革命などで荒れることもあるような、酷い格差が起きかねない状況になるラインだ。今世界でそれが問題になりつつあるが……

これの説明は、小学校辺りで習っていたはずだが、今もその教育をしているかは分からない。
金持ち優遇でも貧乏人が不遇になるでもないのだ。どちらかというと、もっと長い目で見た時に金持ちも貧乏人も中間層も結果的にこれをちゃんと考えないと不幸になるよと言う話に繋がるものだ。


具体的に説明していくが、その前に金とは何かから考えねばならない。

そもそも、お金というのは日本では、「天下の回り物」とも言われる銀行券や通貨である。
この通貨や銀行券というのは、人間社会の中で「物」(物品)の価値を決める物差しとして利用し、それを使って値段決め(価格設定)を行い、物を取引(買ったり売ったり)することで、元々行っていた物々交換で損をしたり、不正をするのを避けるために生まれた合理的な経済制度である。基本的に、銀行券や通貨は、その時代によって種類や価値が変化するのが特徴で、未来永劫に同じ価値を持つものでは無いし、永遠に日本円や米ドルが使える訳では無いのだ。今現在も、為替(かわせ)という形でその価値は変化している。

尚、この金(かね、money)という単元が産まれたことで、人類は経済、経済学というものを生み出した。

では、税とは何かというと、金(かね、money)だと多くの人は思い込んでいるが、そもそも税は「金」ではない。税に金(きん、Gold、Money)を付けると金(かね、Money)になるが、税自体に金の意味はないのだ。その昔は、年貢と呼ばれていた税は、元々は朝廷やその時代の王などに献上する自主的または強制的な貢ぎ物から始まったものである。

それが時代の変遷から日本だけでは無く世界で形を変えいった。最初は、尊敬する王に貢ぐ一方で、平定などを求めるものだったが、守ってやるから税を寄こせになり、戦いで負けたのだから寄こせ(刃向かわないように力を削いでやろう)を含む物になり、そのうち税を払う代わりに学びや社会整備などの基盤、災害時の炊き出しなどに使われるお金や食料やその備蓄へと変わっていったのだ。

凄く凄く簡単に言えば、要は税を払っていると結果的に自分に何か不幸があったり、苦しい状況になったときに税を払った行政やお上がある程度、その人やその人の家族などに対して、施しをしてくれるような構造を作った結果が、今の税制度だ……保険に近いが保険は個人や団体に対して行う金を使ったビジネスだ。それに対して税によって受ける施しは、払った額によって違いが出ることはなく、ほぼ等しく同じ最低減の施しとなる。それをするのが税の役割……だったのである。

そして、それが発展していくことで、より社会は豊かになり、挑戦して失敗しても、やり直しが利く時代が来た……こともあったのだ。
それの原資となるものが今の時代ではお金中心になったので税金という言葉になった。税=金で見るようになった。

実際には、今でも自治体などに物を寄付する人は居るわけで、金とは限らない。まあ、下手な金持ちほど寄付とか寄贈とかしない時代になっており、国が悪い、自治体が悪いとかいう浅ましい世の中になり、日本の今は、企業や個人に支持率を買うために蒔くための道具になっているが……。(それが原因で寄付率が下がっていることも今の政府や自治体は理解していない)


ここまで読むと税金が何を意味しているかは良く分かるはずだ。

そもそも、税金というのは、社会的弱者への分配と、社会の誰もが必要な整備を行うためのものであり、俺はこんなに払っているのに何故っていう話になるはずが本来はないのだ。それが正常に使われているならば。

しかし、税金=負担に感じる社会になった金持ちはもちろん、お金が無い人も、中間層も……その原因は、税を考えているお上に相当する人の浅ましさや、こういう知識の衰退から起きている現実が生み出している。もっと言えば、税の役割を広げすぎた結果でもある。
本来の仕組みを理解していない情けない現実に、発展しすぎた税の使途の複雑さが重なって、全体を見る努力もしなくなったのだ。

そして、そうこうする間にすいたいが始まり、税金を払ったのに社会が安定していない、むしろ悪化していると誰もが思うようになったからである。

要は、税金を払っても払っても、債務が膨らみ、もっと税を寄こせとなっている。その上、物価は上がっていて将来の不安が増しているなら、税を払いたいかという話だ。税を何十年か後に潰れるかもと報道などで噂するような政府に払うなら、税など払わずに自分で守った方が良いかもと誰だって思うはずだ。

年金も満額貰っても、生活困窮者になるなら、年金に払う金など無くして、貯めた方が良いと思うとか……そういう話になり始めているのだ。
これが、税金などの義務に対して納めたくなくなる理由だ。文明が滅びたり、戦乱に変わる時のお手本を今地で行っているのだ。

それに、独善的客観的な不公平感というのが各々の中で増殖していくことで、金持ち優遇だとか、貧乏人から金巻き上げやがってとなる訳だ。


<議論すべきことは総合的な税負担と公平性
    そして、何より大事なのは使い方も全国民に公平であること>

ちなみに、本当に今の日本で議論すべき税金の意義というのは、生涯に中間層が必要な生活費に対して、お金持ちという人がどこまで余剰でお金を貯めることを認めるか?ということだ。そして、それで得られる税金をどこまで低所得者に分配し経済に戻すかも重要だ。今の政府はそういう発想が全く持ってないようだ。

例えば、高所得者に増税して1%税金が上振れしたとしよう。この1%の増加は高所得者が使わず貯めるはずだった金と見なされて増税されたお金である。それを、翌年、生活が困窮している人に満遍なく撒くと、彼らの可処分所得は1%以上上がる。何故なら、高所得者層とは違って、彼らは少ない所得で生活しているからだ。貯蓄がなく、生活が厳しかったなら、それで、得たお金はすぐに消費活動に使われるだろう。

すると、経済活動にすぐにプラスの効果が表れる。高所得者が使わないと見なした金が、社会経済を動かし、経済活動にプラスとなる。同時に、下の層からは、福祉や分配を評価され、最終的には高所得者も含めてより多くの収入を得られる原動力へと変わる。もちろん、高所得者だってもしかするとどこかで失敗して落ちる事はあるかもしれない。その時に他の人の税から自分が支えて貰えることも有り得る。但し、高所得者で沢山税を納めていたからといって、決して優遇はされない。それでも、チャンスをもう一度掴める可能性はある。経済が回っているならば……。

日本はその前提を作っていないどころか、今や壊れているのだ。何せ、都合の良い支持者に金を蒔いて、都合の良い支持者の税の取り方を参考にして歪に税を徴収しているからだ。


尚、高所得者課税率を下げながら、低所得者の税を上げるなんて真似をすれば、その国は必ずどこかで終わる。今、日本はそれをやっている。逆進性の高い消費税を上げてきたからだ。総合課税を考えず、一つ一つの取りやすい税金だけを重点的に狙って上げる一方で、どの税金も法人税と贈与税の一部要件達成家族、それから累進課税で一部の高所得者を除いてこの20年ぐらい下げた試しがないはずだ。その割に、経済刺激策と称して、一部の業種などでポイントやばらまきばかりやっては、自画自賛し、実際の高所得者における家計貯蓄の減少効果を確認出来ていないのだから……阿呆としか言いようがない。

そもそも、諸外国の経済政策で金を回す施策を取るなら、総合支援策の後に家計貯蓄はある程度下がっていく。それが、正しい経済政策だ。しかし、日本は税金でポイントだとか、一部支援だとかをやって高所得者が使えば自分の身を切らなくてもお得に出来るサービスを使わせるから、家計貯蓄が上で積み上がり、下で切り下がる不公平が起きる。ただ、高所得者がまだ多いから、結果的に貯蓄の方が増えて見えるのだ。

そして、こういう政策だから結果的にある程度の所得者でもサービスの利用頻度が低い人やサービスにタッチできない業種の人が、不満を漏らすようになる。何故なら、本来なら下を支えてくれれば自分達にも下の人がよりお金を使って利益が回ってくるかもしれないのに、一部に撒くことで、恩恵が必ずしも得られないからだ。その割に、福祉などのサービスも切り詰められているから、自分で金を使うのも怖くなる。

多分、今現在で見ると、昭和とか平成初期では、既に確実に、最悪安倍政権が始まる前に比べて人口ベースだと、低所得に転落して貯蓄を切り崩している人の方が圧倒的に増えているだろうし、高所得者も自分の身銭を使わなくなっているはずだ。

日本は、アンケートにしても政府などの調査にしても、ちゃんと神髄まで調べ上げて、それをデータにしているケースは少ない。また、データの開示の仕方も酷く、都合のよいデータをチェリーピッキングして日本は素晴らしい政策は上手く行っているかのように見せることが多いが、その結果として、本当に政府がやるべきことをやらなくなったのだ。多数の人から金を使わなくて良いと、評価されていることを、これは良い経済政策だという時点で、国民全体がその人達と共に心中しているのと同じだが、ちょっとだけ動いている表面の金を見せられて、成果は出ているというのが今のやり方だ。

実際に動いているところは見せているので、馬鹿は信じる。ある程度おかしいひと思う人は、どこかがおかしいことが分かっていても、それを論破出来る程の頭を持っている人は少ないだろう。

金を動かせば、動かした分だけは経済などは表面上回るだろう。
問題は、それが最善ではなく、緩やかに死ぬような金の使い方や税の議論になっているということであり、この税調の議論もそれだ。
優遇、不遇という発想しかなく、総合的に税の在り方、それによってインフレ、デフレ、スタグフレ、景気の強弱などに中長期で影響を与えることを加味していない。ただ、雰囲気的に今や過去もしくは諸外国より、大きいか小さいかなのだ。それが、専門家を含む税調の中に居る人というのが今の日本なのだ。そして、その問題を指摘することも出来ないのが日本の報道だ。


最善とは、誰もが税を納めたいとは言わなくても、不満は言わずに、これが社会の為になっているのだと思えるような施策を討つことだ。それは、税金を上げること、下げることという短絡的な帰結ではなく、税金の料率によって政府や国家、自治体が物価や所得目標をどこに定めたいのか?それで生じる税収の変化で何を減らし(税を下げる場合)、何を増やすのか(税を上げる場合)であり、それが結果的に蓄財をしなくても、生涯に渡って何とか生きていけるだろうから、安心してお金を使おうとか、子どもを産み育てよう。家族を作ろうとかそういう発想に向かっていくというものだ。元々の年貢や貢ぎだった税が持つ意味だ。

今の政府税調も総理も、自民党も公明党の与党も、野党も、下手すれば現場の職員も、大学教授や専門家も、報道の専門家すらも、原点をちゃんと見て本当に、国を憂い、この国がどうすれば豊かにとは言わなくても、不満を減らして行く努力をしていける国なるか考えているのだろうか。この記事にしても、金持ち優遇とか、そうじゃないと誰が言っているのかなどは、書くべきだろう。そうすれば、もっと本気で、彼ら専門家も議論するはずだ。

そりゃあ、1人1人意見も違って立場もあるだろう。だが、金持ち優遇とかそういう以前の問題だ。表面ばかりで議論するべきではない。
ちゃんと今の税収、これからの税目標、経済の発展や衰退、社会人口などを加味した上で、全体の税金の在り方を議論しなければならない。これは所得税だけを議論しているからこうなるのかもしれない。

1度、税の歴史から勉強し直して、今使っている税の問題点も財務省や政府、国会議員や官僚・公務員全員で勉強してはどうだろうか?
それをやらないと、このままだといつか手遅れになるだろう。このままだと、税を納めている国民が、こんな国に税を納めるなら、国なんて無くなった方がよいとか言ってもおかしくないのだから……。


尚、金融税制を見直しても、日本が豊かになる可能性は低い。所得倍増は今の日本国では、デノミネーションでもして、通貨の価値を根本的に変えれば可能かも知れないが、そうじゃなければ無理だろう。それやれば来月にでも出来るはずだ。私が言いたいのは、国家も国民もそういう金目だけで考えるなということだ。そりゃ金は大事だ。

しかし、今多くの国民が金に苦労し、金に執着する原因は、国の金遣いがおかしいと思うけど、自分がおかしいと思っていることに対して、別の人は正しいと言っている。別の人がおかしいと言っていることに、自分は正しいと思ってしまうという状況が、この国の分断を生み始めていることにある。そもそも、自分が正しい、相手がおかしい、相手が正しい、自分がおかしいと思う状況は、どっちもおかしいのだ。何故なら、税金はどんなに沢山の貢ぎをしても最終的に全国民に公平なセーフティサービスと社会基盤を供給するためのものだからだ。


税によって、自分が儲かる自分だけがサービスで得をするということが本来ならあり得ないことだったはずで、それを利用して稼ぐ状況がもしあるならば、本来は汚職として逮捕されてもおかしくないはずなのだ。そういう法整備が必要な状況になっているわけだ。そこに、減税とか増税とか、制度を変えようと言っている話が加わると……もう、炎上する材料しか生み出さない。だから、税調も表面論で優遇、不遇の話や、どこから取るか、どこを下げるかという話になる。

そうじゃないんだよ。本来の税は、全体が公平にセーフティや社会基盤のサービスを利用できるために、そしてお金を貯めず経済を回すために、そして国を未来永劫維持するために、皆が均等だと思える集め方と使い方をセットで考えることから始まる。将来の発展が約束されているなら、税が多少増えても、多くの人はOKというだろう。逆に、将来が不安なままで、税金を増やせば増やすほど将来の生活もままならないなら、金を貯めておかないと、自分が飢え死にするかも知れないのだ。税も減らすべきだになるだろう。

納めたくないと……そうなり始めている現実に対して、もっと根本的な税の在り方の議論を先にした上で税調に掛けるべきだっただろう。

今の岸田政権じゃ無理だろうが……

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