“がんサバイバー”YouTuber、寛解したら登録者数が減少する事態に…… 人の不幸とは違うよね。これ。

Abemaの記事である。


世の中がだんだんと、ネガティブになってきているのが分かる記事だ。

今僕は私は病気ですという話で発信した場合、テーマは原則として病気との闘いになるので、その病気に罹っている人や、その病気に興味を持っている人が、見てくれるのは当然である。一方で、病気が寛解や根治(完治)した場合、そのテーマが消えるので、多くの人が逃げるのは当然である。病気が治ってからや寛解してからを見て貰うには、新たにテーマを定めて仕切り直す必要がある。それを見て貰えるかどうかはまた別の話だろうが……。


人の不幸が蜜の味だからというなら、それもあるかもしれないが、本来はそう考えるべきではない。
日本なら、人が苦しんでいるなら、それを助けてあげたい応援したいと思う人は多いはずだからだ。もちろん、否定的な人もいるだろうが、当座の目標として病気の寛解や治療が上手く行くことを掲げている人を応援したいと思うそれに偽りはないはずだ。

じゃあ、寛解したらどうなるかというと、その目標は果たしたわけだから、人は離れていく。あくまで、共有している目標を超えたら、それで目標は達せられたと思うからだ。これは、不幸が見たいからじゃ無い。単純に、これで良かったと共に満足できたからである。もしも、ここに不幸という蜜があったとしたら、上手く行ったことを罵るだろう。

離れて欲しくない、これから寛解の先も見て欲しいと思っていても、そうならないのは、その先が必ずしもこれまでの視聴者が望む、興味の対象では無いからである。私の親族にも寛解している人はいるが、闘病中は確かに辛いのは間違いなく、支えたくなるものだ。だが、再発の危険はあれど、寛解に至っているなら、普通の社会生活は送れる訳で、たいていの人はそれで闘病後の寛解者の生活を伝えられても……となるのが普通だ。逆に言えば、寛解に至った人も、たいていは普通の生活に戻れば、普通の人として暮らしたいと思っている人が多いはずなのだ。

即ち、この記事を見て私が感じるのは、単にYouTuberで生活を維持する中で、癌をネタにしてきた人が、癌の寛解という結果から、ネタにならなくなったことを嘆いているだけにしか見えない訳だ。寛解するまでは、確かにそれをネタにすることで稼げていただろうが、寛解した先は、健常者である。どうしても今度もYouTuberとしてとかテレビでとか思うなら、芸能人としてのネタを考えないとダメなのだ。


<こういうのは今癌と闘っている人に失礼であり、
           彼らが非難される原因になりかねない>


そもそも、癌闘病記は、既に治った(寛解した)人のものではない。今まだ戦っている人が、勇気を貰ったり、自信を貰うために今日現在でもネット上では投稿されているだろう。だが、それに味をしめて寛解した人が、勇気づけを行っている人々を批判してしまうと、今治療している人も、そういう目で見られる恐れがあり、ネガティブな投稿などを受けるかも知れない。

そうすると、治療する意欲を失い兼ねないだろう。

むしろ、こういうのは、下手をすれば患者も寛解した人すらも敵に回すことになってもおかしくない。記事として書かれている以上、Abemaなのでテレビ報道とは違うが、ネット上で多くの人に伝わるだけに、こういう病気ネタは扱いに注意しないと、世間から叩かれることになるだろう。誰も幸せにならない話になる。

尚、寛解した人がもしもYoutubeの同じ病気関連でそれなりに視聴者を維持出来るとすれば、患者だった立場から、今の患者さんのために自分の闘病情報を発信したり、実際に今の患者さんと接点を持って(もちろん相手の許可を得て)、交流して勇気づけたりといったこと、または最新の治療についてお医者さんと交流をもったりすれば、登録者数は減らずむしろ増えていくだろう。

寛解した先にあるのは、寛解Youtuberというより、1度癌を経験しYouTubeに投稿している一般人である。癌経験者など世の中には沢山いる。それをネタにするなら、ジャーナリストになるか、ちゃんと芸人としてネタにするかしないと無理だろう。





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