コロナ禍終わっても、マスク生活は永遠に?「外すの、抵抗あります」…… ネタが無くなると週刊誌のようなネタを作るのが日本の報道。

47NEWS東京新聞の記事である。最近、広島かどこかの新聞記事にもあったが……これはニュースなのだろうか?なんかマスクは外すべきとか付けるべきとかそういうのをまた助長するような記事である。付けるも付けないも各々の判断ですればよいことだ。


そもそも、マスクをしているから免疫が下がるという疫学的データはまだ出ていない。そういうことをいう医者がいるが、これこそevidence(科学的根拠)よりもそうかもしれないという憶測に基づいている。確かに、マスクによって鼻や口から入ってくる感染症の一部をブロックできるもののウィルスや細菌を完全にブロックしているわけではない。N99マスクや防毒・防塵マスクなら別として不織布マスクは鼻の奥に入ってくる量が減ることで、発症に至るほどの増殖をする前に、対処が終わるから発症を抑止できるに過ぎない。

イミテーションの布マスク(1枚布で間にガーゼなどを挟まないもの)はそもそもウィルスを抑止する効果すらないし、鼻や口の保湿や加湿の効果もほぼない。本当に顔を隠すためだけのものだ。飛沫の大きな塊の到達距離が僅かに短くなるが、逆に布の隙間で霧状に霧散し、近い人に幅広く感染させる可能性も否定はできないとされる。

また、マスクは長時間同じモノをずっと使えば、その中で雑菌が繁殖することもある。そのため、別の意味での感染症はいくつもある。特にマスクによる皮膚炎は皮膚の細菌感染症によるものが多いが、これが呼吸器や口内などで増殖するものなら、口内炎や上気道炎などになる。手足口病が今年乳幼児に増えたのは、その影響もあるかもしれない。

確かに、乾燥した状況で広がるウィルスや細菌はマスクで抑えられることになるが、湿潤な環境で育つウィルスや細菌は、マスクでは防げないこともあるのだ。だから、どちらがとは一概に言えない。逆に言えば両方に強い体を求めるならマスクが必要ないシーズンは外すか、どうしても外すのが嫌だというなら、不織布とイミテーションなペラペラ布マスクに切り替えて使い分けようと言うのが妥当だろう。


<今嫌がってもいつかは外す日が来るのが人である>

尚、マスクの着用が今は義務か文化のようになっているが、多分コロナの流行が完全に下火になるか、恐ろしい感染症というイメージがなくなり、皆がマスクを外し始めると、今容姿がとか言っている人も、マスクを外すようになってくるだろう。これは、人がもつ習性の一つで、それがファッションなどで流行している場合や、社会がそれを求める時にはそれを理由に外すのを躊躇ったり、付けるのを躊躇うが、それが終熄すると、特別な理由がなければしている方がみっともないとか、顔が見えないのは怖いとか言い出すようになるからだ。

ずぼらでマスクの下は手入れが行き届いていない人でも、実際にその顔の下を見せなければいけないシーンは増えていくことになるだろうから、そのうちには終わる。今でも、全く見せなくてもよい仕事はそう多くはないはずだ。だから、あくまで今はそれで何とかなっているに過ぎないのだ。

徐々に社会が正常に戻れば、これは自然に終わっていくため、抵抗もクソもない。皆が外していれば、出会った人、すれ違った人の容姿などよほど好きな相手や気にしている人などでなければ、興味も持たれないのだから。皆が外せば有名人や芸能人でも素顔で歩いて似ていると思われることはあっても、本人と思われることは少ないというぐらいになるのだ。

即ちこのネタは、報道としての意味を成していないことを示している。むしろ、外さない社会を求めているのか?を強要しようとでも思っているのか?それとも、外すことを強要したいのか?これから先、こういうネタが繰り返されていくと、そういう狙いが報道機関にあるということだろう。


<週刊誌並の記事より、時事の報道を探して歩け>

海外の報道だと、こういうネタはあまりない。基本的に時間時間の記事が中心となり、世間がどう思っているとかそんなのは記事には殆どならない。それを記事にするときには、コラム(記者コラムや取材コラム)の中で、いくつかの情報とセットで書かれる。オピニオン(意見)を元にした記事というのは、複数の情報を重ねた時に意味を成すからだ。

この記事の場合、そもそも今の段階で世界的にコロナ渦が終わっている訳でもないのに、外さないか外すかを聞いている時点で、ネタとしての体にならないのだ。日本で本格的に誰もがマスクを外すシーズンが来るとすれば、花粉症シーズンが終わる頃からだろう。その時に、こういうネタをコラムや記事に使うなら悪くないが、今これをネタにして何が言いたいのか分からない。そもそも、時事ネタでも何でもなく、今人前で外したいと思っている人の方が少ないのは当たり前だろう。

半年後に、皆が外しだしたときが来たとして外したくない人が社会に増えているなら、その時初めてそれが社会が思っている意見を取り上げるに適した時期となる。




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