アングル:COP26、紛糾必至の争点は何か …… 一番の問題はこれが利権や政治の駆け引きということ。

ロイター通信のコラム記事である。


既に、世界各国で一般の人にはこの政策があまり意味を持たないだろうと見抜かれ始めているCOP(Conference of the Parties)の記事である。京都議定書締約国会合(CMP)から始まったCOPだが、二酸化炭素の排出権やその取引というものを市場に組み込んだことで、実際の実態は既に分からない状況に変わってしまった。

そもそも、COPに加盟していても、新興国などでは温室効果を加速させる施策を続けても影響は少ないからだ。

何より問題なのは温室効果ガスの”排出”削減することばかりが命題になり、一番重要な温暖化を止めるために本当は何が問題なのかの話は全く行われていないため、やっていることに対する成果が見えない状況になっていることも影響している。

温暖化が温室効果ガスだと仮定しているなら、真っ先にやらねばならないのは、温室効果ガスの排出を減らして遅くすることではない。真っ先にすべきは温室効果ガスを吸収して酸素や炭素、水などの物質に変換する植物などを守る行動である。場合によっては木や森を育てたり、沿岸部の埋め立て(海底が200mのエリアの埋め立て)を禁止すること、またはそれを埋め立てる場合には同程度の海底面積の拡張を行う義務を国際条約とすることの方が優先だろう。


もっと言えば、そもそも全ての参加国のリーダーや温暖化を二酸化炭素の排出だけで問題視している科学者全体に言えることだが、温暖化による気候変動を問題視しているなら、もっと根本的な問題を何故、問題に挙げない。これに対して必要な施策をやれば、少なくとも気候変動は減らすことが出来ると言うのに……。

私は、この問題を調べているが、だんだんと分かってきたことがある。気候変動だけで考えるなら、今の温暖化防止対策は茶番どころか地表をより温める可能性があるという事実を……


<本当に不味いのは太陽熱や太陽エネルギーを地表に留めること>

人類が燃料などから消費する一次エネルギーの熱量は太陽光線から届く熱量の1%にも満たないのは誰もが知っていると思う。
太陽光線から地球に届く熱量は、推定で約5,518,933,315,885PJ/年ほどで、この熱量のうち30%ほどが一定期間地表に留まる事で、地表の温度は極圏から赤道までの年間平均気温で13~16度(推定で14.6度)の範囲に収まるようになっている。これが我々、人類を始めとした生態系を生み出す活力となった訳だ。
その温度が上がり始めた理由が、温室効果ガス特に二酸化炭素だと世間では言っているわけだが、実は大気中の二酸化炭素濃度は温度上昇に対して、係数値が想定するほど上がっていないように見えることが私の中では不思議に思うようになった。実はこの辺り、資料が殆ど無くて調べている研究者がどれほどもいないように見えるので、はっきりしない。あくまで、なんかおかしいと思うようになったのだ。

だれか研究者がそれを調べてくれれば分かるのだろうが、これが分からないと人類は近い将来科学を失い、技術を壊し、衰退へと向かうだろう。

何が言いたいかというと、気象現象の悪化や温度の変化に対して、二酸化炭素が本来上げるべき温度上昇の速度と、実際に今起きている人類を始めたとした地表の生命体が受けている温度上昇の影響が一致していない可能性があるのだ。もっとハッキリ言えば、温暖化が二酸化炭素だけでもたらされていない。多分、二酸化炭素も一助にはなっているが、それよりもっと不味い影響が政治家なのか、経済のリーダーによるものなのか分からないが意図的に隠されているか、または見落としているということだ。

そして、COPなどもそうだが、皆、二酸化炭素の濃度だけを見ているだけで、実際にどう寄与しているのかを、COPが発表する場になっていないのも問題なのだ。もう20年以上COP関連の議論は行われているが、そういう実際の関係性を出す場になっていない辺り、思い込んでいるのだ。二酸化炭素さえ何とかすればと……もし、違った場合どうするのだろう。温室効果ガスだけではなく、もっと大きな問題があった場合、例え二酸化炭素が減り始めたとしても温度が上がり続ければ、手遅れになるだろう。


そこで大事になるのが、太陽熱と実際の人類が使うエネルギーの消費の2点の乖離になるのだ。
実は、人類が消費している一次エネルギーは太陽光線から得られるエネルギーから見て、足下にも及ばない。太陽から届くエネルギーのうち10%でも使えば、地球のエネルギー問題は解消に向かう程度に。逆に、10%でも地表に留まる熱を増やせば、それを全て電力としたとしても結果的に8-14%気温が上がる可能性がある。これに温室効果ガスの温室効果係数が加算される。

これが、見過ごされている可能性があり、それが温暖化の問題になっている恐れがある。
これをしっかりと計算していない場合は、下手をすると人類は代替エネルギー開発が温暖化を加速させ自らで、破滅へと突き進むというシナリオもあり、実際にその可能性が高いと私は見ている。最大の問題は、太陽光発電を温暖化対策としていることである。これは、絶対に今のそのままの仕様で温暖化対策の柱にしてはいけない。(後述するが少なくとも森林がやっている熱対策と同じ対策を講じないと不味いということ)
もちろん、元々黒い瓦などを使っている場所なら構わないが……そうでないなら、絶対に避けるべきだと私は思っている。


<温暖化や寒冷化の最大の要因>

温暖化が何故起きるのか?というのは3つの要素がある。

1つ目は、熱を現地で生み出すことによって生じるというものだ。
2つ目は、内側で熱を溜めることで起きるというものだ。
3つ目は、外から届く熱が増えることによるものだ。

地球温暖化はこのうち2つ目を重視した施策である。これを間違っているとは言わないし、確かに二酸化炭素濃度は増えているので、これに対する施策が必要であることを否定しない。即ち、温暖化を防ぐ目的で、温室効果ガスを減らそうということを否定するつもりはない。

問題は、その一本足に向かってきたことに私は危機感を覚えているということだ。

実は、1つ目と3つ目が全く考慮されていないことが問題なのだ。

例えばの話、核融合が生まれれば人類は温暖化を撲滅出来ると思っているが、実は逆になる可能性が高いと私は見ている。何故かそれは現地である地表で熱を生み出すからだ。その熱を、宇宙に100%速やかに放出出来なければ、そこで生まれた熱の増加分は、地表の温度を上げることになる。これは原子力でも、化石燃料でも言えることである。問題は、冷却が自然吸気で煙突から放出される蒸気や煤煙によって行われているか、海水などによる地表より下の熱資源(冷却資源)を使うかだろう。前者の場合は、膨張した空気にのって熱は空へと舞い上がるが、地面より下の水に捨てた場合、熱は最終的に海の表面に漂い、どこかで気化するのを待つことになる。

即ち、気象現象がより極大化する原因を生み出す。何より問題なのは、上空に上がって行くまでの時間が大気に直接熱を放出するより数日~数ヶ月遅いという点にある。この水や地面の下にとけ込んだ熱が空に逃げるまでの時間差が、温暖化を招くのだ。


3つ目は、外から届く熱が増えること、太陽の黒点の数が増えた減ったで言われる寒冷化か温暖化の話だが……実は、それだけではない。外から届く熱は同じでも、外から届いた熱を沢山集める装置を増やせば暖かくなる。それが、太陽熱や太陽光を使った発電設備の問題に繋がる。これは私が計算するに経済的な面では見かけ上エコだが、地表の温度を上げる下げるという観点ではむしろ危険なほど上げる側になり得ると私は考えている。しかも、これを世界があまりに促進するとかなり深刻な問題になるのではないかと……

例えばだが、太陽光発電所で世界の太陽エネルギーを10%電力にすることが出来たと仮定しよう。それは元々地表を暖めるものだったのか?それとも、宇宙にそのまま逃げる熱だったのか?という話に繋がるのだ。それが、宇宙に逃げずに地表に留まる熱だったとしても、その熱は夜には放射均衡によって宇宙に放出されないと不味い熱である。何故なら、留まれば翌日に追加で来る熱に加算される形で同量の熱が宇宙からやってくるからだ。

これで分かる人は分かると思うが、これを充電して充電池に溜めたらどうなるか?
という話なのだ。もっと言えば、森を切り開いて太陽光発電所にしたら、地球は涼しくなるのか?農地を発電所にしたら、どれだけ温度は上がるのか?

そもそも、太陽光発電のパネルの殆どは黒い。これが地表に並んだとき、果たして宇宙に反射して逃げて行く熱量と今の放射均衡が保たれるのか?考えると、恐ろしいことに気が付くだろう。

これは本当に大事なことだが、太陽から地球に降り注ぐ熱量は約5,518,933,315,885PJ/年である。このうち22~35%は反射して逃げて行き、残りは地表に昼は留まり、夜間に空に逃げて行く、そして地表付近の温度を平均して10度台になる程度に均衡させるのだ。人類が生み出す熱量は、2019年でも約583,900PJ/年(一次エネルギー換算)しかない。この意味が分かれると太陽光を利用する難しさが見えてくるはずだ。


ちなみに、太陽光をエネルギーとして使う最良の生き物は、葉緑素を持った植物または植物性プランクトンである。これらが優れているのは、水を使って不要な熱を、効率的に捨てていることにある。特定の光のスペクトルのみを吸収して、それでも出てくる光などから生まれる熱などは、捨てているのだ。海の場合は海中に、地上の場合は、蒸散(気孔という穴から放出される水蒸気)によって空に速やかに放出される。これがとても大事な機能であることを、人は覚えておく必要がある。もし、太陽光発電で電力を得るなら、ミストパイプでも搭載して、パネルの温度を25度~35度の範囲内に留め、残りの熱は空に捨てることが必要だろう。それをやれば、少なくとも、森林などではない住宅や商業地用ぐらいなら温暖化防止に繋がるかも知れないが、それをやらないと、温暖化を促進していく可能性がある。

ちなみに、川や湖に熱を流してはいけない。これらは、結局海などの温度を引き上げる原因になり、海の表層の温度が上がると、植物プランクトンなどの生態系を壊す恐れもある。それは結果的に、二酸化炭素の吸収を悪化させ、塵も積もれば山となるというように、気象現象の悪化を招く可能性があるからだ。


<気候変動対策だけが命題で……大雨洪水干魃が問題ならばやるのは……温室効果ガスより>

ついでに言えば、温暖化対策ではなく、経済圏の気候変動対策が重要でそれが地表の氷河流出よりも、先進国などの洪水や干魃問題だけであるならば、温室効果ガスよりも先にすべきは、地表と上空の温度差を抑制する方法を考える事である。最も簡単な方法は、砂漠地帯でも、都市部でもよいが、地表の空気を吸い込んで、上空に巻き上げる大型排気筒を作ることだろう。


大きな熱を生み出す発電所を作り、空冷の高い煙突を作り、そこに地表の空気が入り込むようにすれば上空との温度差が少なくできるかもしれない、今より嵐などは減らすことが出来るかも知れない。何故なら、上空との温度差を減らすことが出来る上空に地表の空気を効率的に巻き上げさせることが出来るからだ。
その代わり、四季などをコントロールするには、設置場所を配慮することと、動かす場所を定期的に変えねばならないだろうが……。今の科学だと金さえつぎ込めば出来る可能性があるのはこれぐらいだろう。大きな賭だが、不可能ではないというものだ。こういうプランも実際に考えるべき時にあると言える。こうやって、いくつもプランを持たないといけないほどなのだともっと考えて置かないと、コロナのようになるのだ。世界が止まる日が来てもおかしくないと言うことだ。


<少なくとも電気バッテリや経済内包型の環境政策は
        環境対策からはほど遠い。せいぜい5年10年しか見ていない>


逆に、絶対に厳しいということを言えば、経済を維持したままで電力を自然エネルギーに転換するとか、バッテリーに蓄えてというのは、2050年には破綻していると私は見ている。これは絶対にそうなるだろう。水素として貯留するなら出来る可能性はあるが、それでもそのまま電気として使った方が環境にはよい。余剰電力がよほどあれば別だが……。

そもそもの問題として、これは報道が悪いから言えることだが、エネルギーを溜めるのに一番よいのは、燃料として蓄えることだ。その燃料ですら実は、製造して何年か経てば、劣化し変質し、エネルギーが抜けていくという問題がある。ちなみに、充電池はその最たるで、ニッケル水素電池が生まれて以来、見方が変わってきたが、そもそも最先端のリチウムイオン電池ですら、充電した電力に対して、取り出せる電力量に齟齬がある。最終寿命まで使い切ると充電した電力の2割~4割以上が取り出せなくなる。

その電力はどこに消えるのか?

大半は熱として、消えていく。大型充電池は車などで使った後に他なら使えるという話があるが、それも環境を考えるなら間違いで、環境のことを考えるなら、新品を使うのが好ましい。しかも、高サイクルで入れ替えるのが一番よいのだ。何故なら、劣化した電池は熱放電の率が上がり、漏出率が上がるからだ。エコどころか溜めた電力の多くを、そのまま空気中に熱として放出するため、環境に悪いのだ。

まだ、それならその電力で燃料を生み出した方がよい。この問題は、この先20年30年、40年経過したら必ずやってくる。振り子のようにこの施策は環境対策として好ましくなかったと言い始める輩が絶対にいるだろう。その時になって、ようやく補正へと向かうだろうが、その頃には手遅れかも知れない。何せ、必要な電力量は結果的にバッテリーを増やすことで増し続けて電力不足が加速するからだ。

電池に溜めるには、漏出率がとても優秀なバッテリーを使って0.1%だとして、それらを全ての国で実現した場合、2019年と同じエネルギーをバッテリーで溜めて、年中使えるようにするには、583,900PJ/年⇒584,483.9PJまで熱量を増やさないといけない。結局、バッテリーにため込む分のエネルギー分を余剰に生み出さなければいけなくなる。もちろん、自動車などの内燃機関を搭載した車両が減れば、その分熱量が減る見込みもあるが、今度は自動車などにもバッテリーがつまれるようになるわけで、果たしてそれが良いのかは分からない。

もっと言えば、このバッテリー理論の破綻が明確に分かるのは時間が経過した後だ。
それらのバッテリーを10年使った場合、10年後の漏出率20%に達するとしたら、700,680PJ/年のエネルギーが必要になる。即ち、劣化した蓄電池から放電される電力を補うためにさらに発電所を増やさないといけなくなる訳だ。


本来ならCOPではこういうことも含めて、未来を本当に短足な発想で考えてよいのか?も考えて置かねばいけないのに、そこは無視して進んでいる訳だ。そこが、本当に不味い部分であることを知ってか知らずか……。

<本来の温暖化のための環境政策>

本来なら、砂漠地帯を森林地帯に帰るための投資を加速させるとか、そちらに軸足を置くとかそういう考えに転換する方が重要だと私は考えている。本当はそれこそが大事だと思うのだ。経済ばかりを考えてそれを社会に組み込めば儲かるとでも思ったからこうしたのだろうが、温暖化対策は経済とはまず一致しない。どうやっても、経済は自然という社会を壊すものだ。相容れないのだ。その中で、如何に人々をだまくらかして、稼ぐのかに力点を置いているのはこれまでの人類史においてずっと行われてきた現実である。

だったら、経済はそういうものとした上で、やるべきは森林保護や植林、埋め立てなどに対する規制などを広げていくことにある。木を切ったらその分、同じ種類の木を植えてそれが切った木と同じ年輪になるまで守れということだ。海を埋め立てるなら、その埋め立てた土地と同じだけの水辺を作れということだ。


<持続可能とはほど遠い>

持続可能とは何なのだろうか?二酸化炭素が減れば持続可能なのか?二酸化炭素が増えたから持続不可能になっているのか?二酸化炭素は確かに温暖化している一因ではあると思っている。しかし、それが全てではないと私は思うのだ。むしろ、もっと根源的な問題が我々の社会にはある。エコロジーを経済に組み込めば、環境も良くなると思い込んでいることだ。

そもそも、環境を良くすること=エコはまず前提としてあり得ない。何故かというと、経済が退廃した場所の方が、温度が安定しているということを考えると分かるだろう。人のいない自然という環境が電気や燃料を使わなくとも温度差を抑えているのだ。だが、そこでは暮らしにくいから、我々は社会と経済を人の暮らしやすい場所として生み出した。

環境ビジネスというのは、そのうちの代表的な可能性の一つを、問題としてピックアップすることで良さげに見せるだけの行為だ。家の庭を園芸店(ホームセンター)で買ってきた緑で埋め尽くせば環境に良いと思っても、その中に外来で定着率が強く在来種を侵食する草花があれば、それは環境に悪いとなるはずだ。それが、ビジネスである証拠である。

経済の中のエコロジーはエゴなのだ。そして、それを世界が経済と協調して強制すれば、この先エグロジーになるだろう。渋くエグいものになり、人々を弱らせる産物へと変わる。環境に良いと思っていたものが、環境を急激に悪化させる可能性もある。実際にそうなり兼ねない状況に向かっているように今私は感じている。

一番分かり易いのは、太陽光発電で得られる地表に留まっている力が電力だけだと思い込んでいることだろう。太陽光発電の最も怖いところは、太陽から届く光から変換される熱が、地表に長時間留まったとき、そのエネルギーは、人類が生み出している全ての熱エネルギーを遥かに凌駕することにある。だから、過剰な熱エネルギーがあるなら、それを速やかに空(空気中)に捨てないといけないが、その事が考慮されていないことにある。

これは核融合などの技術でも言えることだ、エネルギー問題さえ解決すれば、温暖化が止まるのではない。一番問題なのは、熱を地表から効率的に逃がすことを考えずに、二酸化炭素だけの(減らせば何とかなるのではないかと)責任にすり替え、考えることを止めることで、その熱が留まり続ける要因や溜まる一因が果たして本当にそれだけなのかに目を向けていない我々人類全体の怠慢が続いていることにある。

これでは、より天候は崩れるようになるだろうし、世界は深刻なエネルギー危機と同時に、計算にはないさらなる温暖化の加速と、それに伴う経済損失という現実を突きつけられるかも知れない。


そうならないためには、もう一度、まず学者と報道機関、政治家が本当にこれで良いのかを見極めることだ。都合の良い環境配慮とかではなく、本当に最終的に循環する社会とは何を目指すべきかの究極から見いだす必要がある。即ち、不都合な真実を隠さないことが大事だ。

本当に、エコロジーとは二酸化炭素が全ての要因なのか?二酸化炭素を減らすためのものが地表から減っている(植物、珊瑚礁、沿岸部の海、綺麗な海洋、河川、空き地、森)ことの方が、まずは問題だと考えることの方が、本来は第一歩だと私は思うが、それに代わるものが今のSDGsでは十分に示されているのか?もう一度しっかり全体を見渡すべきだろう。それをもし、行わずに突き進めば10年で100年を失ってもおかしくない時が必ずやってくるだろう。

何せ、全てのエネルギーは熱に通じるのだから。科学がもしもこの問題を少しでも緩和するなら、まずすべきは、二酸化炭素の排出を減らすことより、如何にして地表に増えた熱を効率的に宇宙に逃がす科学を発展させるかの方である。二酸化炭素を減らすのはその1つの手段ではあっても、エネルギー消費が増えていく社会では全てではないのだ。それが科学では無理なら、自然科学をもっと大事にして人の生息圏ではない場所を緑に戻していくことを本気で考えるべきである。




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