F.C. Barcelonaのデンベレとグリーズマンに思うスターになる上での指導の大切さと、旧映像の怖さ。
ゲキサカの記事である。SNSなどで話題になっていたので何事かと調べたのが、これだった。YouTubeなどにも映像が出回っている。
これらを読んで、映像を見て思ったのは、小中高生ぐらいの乗りで、修学旅行などに行った先で、出会った人や見た人を値踏みしたように見える。
今もやる子供がいるかは分からないが、日本でも結構そういう子はいた。少し悪ふざけをするような、チャラチャラした感じの子なら、友人同士で遊び半分にそういうことをして、格好いい、かっこ悪い、気持ち悪い、凄いなど言っている人はいる。
その、内輪だけの話が映像として終わるなら別に問題はなかっただろうが……それが世間に公開されると、こうやって炎上する騒ぎになるわけだ。
デジタル映像の恐ろしさというのは、そこにある。誰しも、過去に撮影された自分の映像が、世界に公開されたときこういう恐怖と戦うことになる可能性はあるのだ。最近は映像撮影や写真撮影の殆どは、常にネットに繋がることが出来るスマホで行われていることもあり、クラウドや写真動画共有アプリと共有している人も多い。
だから、関係が崩れる動画が突然広がることは誰にでも有り得ることだ。気を付けないといけないということの裏返しでもある。
そう考えると、殊更問題視するのも私は、阿呆らしいと思うが、世間はそうではないのだろう。日本人やアジア人に対する蔑称など今に始まったことではないし、日本人だってこれを受けて、一部で彼らに酷い言葉を売り言葉に買い言葉で書いている人もいる。世の中皆が皆、いつも品行方正ではないのだから。
とはいえ、問題もある。
それは、映像に対する当事者の反応が反省の弁にあらずという風に受け止められるものだったためだ。
これは、本人にとっても、クラブチームという組織にとっても何のメリットもないどころか、最悪の事態へと向かってしまったと言える。要は、組織側も指導不足であり、サポート不足だったという事だろう。
クラブチームとして出来ることは、対応の助言することと会見場などを用意することぐらいだろうか?本人がすべきことは最後に書く。
まあ、それをやっても本人がアジア人の顔が好きか嫌いか、日本人の容姿が好きか嫌いかという話だけなので、アジア人のファンは減ることになるだろうが、それを、短期的に覆すことは困難かもしれない。よほど、アジアのファンをもう一度すぐにと思うなら、日本などアジアのサッカークラブで転籍できる場所を探して、プレーで魅了していくと同時に、人々と交流していれば比較的早く関係は改善されるだろう。
<映像がどこから漏れたのかも大事>
しかし、世間全般に影響がある問題の本質はここでは無いかもしれない。上記は、あくまでこの2人が日本人を当時どう思っているのかぐらいの話だからだ。別に彼らが、日本人の多くと接しているわけでもないはずなので、正直、日本から見れば大半の人はどうでも良い話だろう。
むしろ、日本でも誰でもありそうなのは、果たしてこの映像はどこの誰から漏れたのか?本人が級友に失敗して自業自得なのか、それとも何者かが貶めるために流したのかというのが、少し気になる点だ。
日本では、性犯罪などでリベンジポルノなどの動画や写真で人を脅すということが、近年話題になっているが、実は有名人で無くても、ある程度の立場になった時や、相手との関係性が変わった時に、世間体が悪い映像や写真などが、後から出回ることもある。
これは、時をかける少女のように、不可逆な時間の流れに対して、自分自身が過去に跳躍が出来る技術でも生まれれば、無かったことに出来る可能性があり、怖いことはないのだろう。だが、現実にそんな方法はない訳で、過去の過ちは決して覆されることはない。
例え、今真っ当な人でも、幼い頃に悪事や馬鹿な行動をしていて、それがどこかの誰かに撮影されていれば、それはその人を揺する材料にされる可能性もあるわけだ。まあ、昔なら家族や親族程度ならよほど骨肉の争いでも無い限り、そういうことはないと思うが、これがスマホ時代になった今だと、友人や恋人、知人という範囲や、さらにはドライブレコーダーや、巷の公共カメラの映像、ライブカメラなどにも広がる訳で……。
彼らの場合は、サッカー選手として成長してきた人々だ。だから、恨まれていることもあるかもしれない。そうすると、どこかからそれが意図せず漏れ出すことはあるだろう。
それは、有名人だからとは限らない。SNS(LINE、What'sApp、Facebook、Instagram)での共有をする場合には例え友人関係であっても、映像が一人歩きして数年後にいたい形で戻ってくることも有り得ることを忘れてはいけない。
彼らの側で見るとこれも、組織などにおけるリスクマネジメントの一つだ。まあ、有名人の場合はそういうプライベートに近いところを公開するのも、一つのファンサービスになっている場合があるので、難しいところだが、こういう映像の共有や手軽な撮影などには注意を促す必要があったと言える。
<我々は日々考え方が変化し、
好き嫌いも変わっているのだと知ること>
まあ、今回は有名人だからこそ非難される結果になっているが、そういうのを気軽に口にする人はいて、それは若く経験が浅いほど多くなる。浅いまま爺さんや婆さんになると、その限りではない。だから、日本人でも年齢が高く、外国人などとの接点が少ないと、まだ否定的意識が強い人もいる。
ちなみに、日本だと今でも地方で、色の黒い人を見て、じろじろ見るような人は結構いるはずだ。それもある種、人を見た目で区別している証拠であるが、慣れない閉塞社会というのは往々にしてこういうものを持っている。それは、教育が行き届いていなかったり、自分の立場がより広い人々との関わり合いを持つ以前だった場合にも、見られることは多い。
これは、凄く簡単に言えば、小さな頃に強面の親戚のおじさんが、酒臭い口臭を吐き出しながら、ゴツゴツの手で強く頭を撫でられたという嫌な記憶があると、子供は嫌な人と認識することがある。それが、毎年1回ぐらい僅かな時間行われていると、その嫌な人のイメージは変わらないままかもしれない。
しかし、あるときそのおじさんが、どこか行きたい場所に連れて行ってくれて、そこで話をすると、怖くないことが分かる。その時初めて、その人の容姿に対して、怖いイメージが消えて、良いおじさんや陽気なダンディーなおじさんになるかも知れない。
これが、過去(今日まで)の人が持っているイメージと、今日から人が持つイメージの変化だ。
逆に今まで凄く優しくて良い人に見えたけど、嫌な思いをすれば、こういう人は怖い、気持ち悪いと思う切っ掛けになることもある。我々は、そうやって経験の中から、容姿のイメージなども育んでいる。大事なのは、例えば過去のそういうやりとりが出てきた時に、果たしてそれが今も同じイメージであり続けているのかを確認することにある。
スターなのに、今もそういう考え方なら、評価は下がる。逆に、今はそんなことは全く無いなら、昔はそうだったというだけだ。
本来は、そのどちらなのかを会見などを通じて示すことが大事だ。しかし、それが今のところ出来ていないことが問題になってしまっていると言える。
だからといって、本人達に対して人種差別に繋がるような、侮辱発言を我々が出すのはナンセンスだ。
私としては、欧州や世界、アジアなどで非難を強く出すまでの話ではないと思っている。
まあ、もちろん残念なはなしであるのは確かだ。
ただ、本当にこれで、速やかに行うべき事があるとすれば、
言われた本人には、当時届いていなくても、少なくともその容姿を蔑視された人に、直接なり、間接なり謝罪して和解することが最優先であろう。
それが、まず出来る第一歩である。