高齢者のクレームで公園から子供が消える「歪な環境問題」への危惧 …… 地区で管理する公園なら、これに書かれていない大事なことが……
Webの雑誌記事である。ニュースポスト7の記事である。
公園の使い方に関するトラブルの話だ。私の住む近所には公園がないので、こういう問題が起きることはない。そもそも、子供も少ないから、子供がいるとむしろ、その声に癒されるぐらいだ。但し、私の親の実家側には、キチガイな人がいて(元々精神的な病気があった人)、子供がはしゃいでいたりすると怒鳴り散らすとかそういう人もいる。
世の中、どこにでも一定の数は変な人がいる。問題は、その変な人が幅を利かせてしまうかどうかで世の中が、悪くなるということだ。それは、国政政治などを見ていても分かるだろう。そういう人が、上に文句を言って通じる時代になったから、問題なのであって、大半の高齢者が果たしてこういう感覚で見ているとは限らないということだ。
だいたい、文句なりの声が大きい人の言い分が通るようになってきたから危険なのだ。
まあ、都市公園ではない地区児童公園(地区が基本を管理する公園)の場合は、必ずしも悪い人がいるからとは限らず、人々の無知が関係を悪化させている場合もあるが……。
<若いあなたは自治会に属していますか?地域の裏方活動に参加していますか?>
ちなみに、自治会などの活動に参加していない場合は、地域の危険な人の情報が共有されないことがある。また、そういう危険な人だけが、自治会に文句を言いまくるようになり、それに応じざるおえなくなることも、地域によっては増加してしまう。民主主義の基本は多数決なので、その地域にいる若い人が、ちゃんと意見を出せる場に出てくるようにならなければ、この部分は改善されない。
それが、結果的にこういう公共の場の扱いを崩していくわけだ。遊具が古くなり、更新されずに高齢者のたまり場程度になることだってあるかもしれない。
これは、選挙に立候補したり、投票したりという行動でも言えることだ。自分は関係ないとか、面倒だ、大したことじゃ無いと思っていたら、結果的に自分がそこに無関心だったことを棚に上げて人にせいにしていることも有り得る。
と書いたが、実は公園はまた話が違うケースもある。
公園などの公共財の場合で、児童公園の場合、実は一般的な日頃の管理を市ではなく自治会が行っている場所があるのだ。
即ち、自治会で清掃活動や管理活動などをしているということだ。それに参加していない場合は、周囲の人からその公園を使う地域の人として認知されなくなることがある。
そこが落とし穴ということもあるのだ。
こういうケースがあるのを知らなかったという場合で、自治会に入っていない人が、老害だとか簡単に決めつけているなら、それも問題になる。
だから、若い人は地域の裏方活動に参加していますかという話になるわけだ。
こういうケースが散見される場合は、高齢者や地区にも問題がある訳だが……
<高齢者は若者を尊重していますか?>
俺は長いこと我慢してきた。私が若い頃はもっと酷かった。という人もいるが、若者から見て引退した高齢者が邪魔だと思われるようになったら、高齢者福祉は廃止され、姥捨て山に捨てられることになるだろう。今でも、年老いて仕事をしないと年金じゃ暮らせない人も多いはずだ。それが、もっと細っていき、医療も受けられない時代が来るかも知れない。
若者や子供が公園などでしっかり遊べる社会を、作らないとそういう世の中がより悪い方向へと進むだろう。
自分達が子供の頃に、あなたは家で大人しく本を読んで、泣きもわめきもせず暮らしていたのか?ということだ。そういう人も確かにいるだろうが、多くの人ははしゃいだこともあるだろうし、何かを壊して叱られたことも、泣いたことも、叫んだこともあるはずだ。若い人の意見を尊重することは大事であり、自分達の方から積極的に、若者の意見を取り込み、非難する高齢者に対して、説得する器量を見せることも高齢者のすべきことである。
自分達は弱い物だから、子供は我慢しろという話じゃないのだ。子供が大きくなって本当に動けなくなっていく自分達を支えてくれるかも知れないからこそ、子供のために経験のある大人の器の広さを見せろということである。
そして、もし自分達の言い分があるなら、ちゃんとそれを示すことも大事だ。こうこうこういう理由があって、管理が大変になるからとか、掃除の活動に参加してくれる若い人が少ないから、維持運営が大変なんですと言えば、その地域に住む人の考え方も変わるかも知れない。
そういうのも大事だ。自分達だけが我慢しているという傲慢な態度が嫌われているのだ。
尚、子供のせいで年寄りが怪我をするかもとかそういうのは論外である。
<ここまで狂った原因は……少子化もそうだが……>
一番の原因は、共働きと核家族だろう。
今では、三世代が同居する家は少ない。さらに子育て中の親子で暮らす住宅の多くは、共働きで大半はフルタイムで両親が働く家になっている。
そのため、地域のことに参加している現役世代が急激に細っているし、世代間で違う意見のギャップが解消されないのだ。さらに、自治会などの活動が細ってしまい地域にいる子供というのが認知されない状態も深刻なところが増えている。ある地点に週末だけ子供が溢れるとかそういう状態になる訳だ。
これは、30年前なら、両親のどちらかが少なくとも、子供が一定の年齢になるまでは家に居てくれたり、近所には相応の誰かの親がいたため、幼稚園などから帰宅したら、家の周りで遊んでいたりしていたわけだが、今はそれがない。即ち、家は寝に帰る場所になり、週末だけ両親と遊ぶ。それも、家の近くとは限らずちょっと遠出して、旅行に行ったり買い物に行ったりするから、家の周りでは遊ばないとなると……その地域では認知もされなければ、自治会に参加する意味も薄れる。
そもそも、平日でも子供は家でゲームの比率が高い世の中になったため、外には出ていない。それが、緊急事態宣言の時に、近くで遊ばせるしかないとなったら……。わらわらと子供が近所の公園に集まれば、驚きもするだろうし、困惑もするだろう。この地域にはこんなに子供がいるはずもないと思った人もいるかもしれない。
そうなると、その周囲に住んでいる人にはストレスとなる。
昔と違うのはそういう社会的な環境の変化に対して、その地域で暮らす人の顔が見えなくなっていることも多分に影響している。
ちなみに、地域の活動に頻繁に出るお年寄りが三世代同居の家の孫を連れて、じいちゃんばあちゃんが、孫を公園に連れて行っても、周辺のお年寄りはきっと怒ったりしないだろう。理由は、その地域で顔が知れているため、信用出来るからだ。
高齢者も、たいていは子供が嫌いだからという話ではなく、そこに来る人の素性が分からないから恐れている面もあると思われる。もちろん、都会になればなるほど、絶対数からみれば変な人も沢山いるので、それも有り得るが……。
尚、都市圏の公園は、役割が自治会から離れた都市公園整備計画や緑化計画、災害時避難計画等に基づいて管理され、自治体が直接運営しているケースもある。そのため、文句をいう筋合いはなくなる。何せ、自治会を介さないで管理されれば、自治体に文句を言っても、自治体は条例に反しない限り、行動は起こさないからだ。そういう差があるかもしれない。
<どのように対処するべきか?>
本来なら、自治会に若い世代が入ってくれるように促すことが大事だ。そして、地域で交流するイベントを増やすことで、その地域にどんな子がどれだけいて、どんな生活をしているのかが垣間見えるようにすると、徐々にこの手の問題は減っていくだろう。
しかし、昔ながらの付き合いと、新しい付き合いが混在する再開発地域などではなかなか簡単にはいかない。新しい付き合い方では、なるべく交流を持ちたくない人が多く、お金で出来るならお金で対応するような人も多い。古い付き合い方だと、お互いさまという言葉がある変わりに、お互いを知るまで関係を深めなければ、コミュニティーには入れないため、それらの関係を築くまでに手間が掛かる。
その間に老害とか、最近の若いもんはという思い込みがあるとなかなか馴染めない人も多い。
ただ、児童公園などの地域で管理している公園でこの問題が起きるのを解決するならば、原因の多くは高齢者と若者だけの問題よりも、もっと簡単な問題であることも多い。
例えば、公園の清掃活動が月に1度行われるとして、それに自治会の人は輪番等で参加するならば……。
じゃあ、自治会に参加しない人にも参加して貰えるように方法を考えると何か変わるかも知れない。
公園を使っちゃいけないとは言わないが、それがたくさん来ると、自治会に参加している人から見れば、不公平だと思う人も出てくるのは、参加しない人でも分かるはずだから。
そういう話は自治会の会合では出ているかもしれない。それらも、全て市区町村が税金でやるなら、税を引き上げてでもやれば良いのかも知れない。そうすれば、文句も減るだろう。
こういう問題を知らない人も世の中には沢山いる。自治会という地域での相互扶助が行われ、管理されている公共財もあるにも関わらず、それを知らずに「タダ」で使えるのだと思っている人もいるのが今の世の中だ。ちなみに、ゴミ捨て場なども自治会が運営する公園の場合は、その処分に掛かる費用が自治会費の一部で賄われるケース(地域)もある。水道やトイレの管理なども市からの補助では足りなければ、なんてこともあるかも知れない。
これを知っている人は、自治会やその公園の管理が何によって行われているかを分かっている人だけである。
そういう状況で、両方が理解が及ばずにいがみ合ったまま状況が悪化していけば、そのうち公園なんて管理されなくなり、公園に集まるどころか、ただの草ボウボウで誰も見向きもしない空き地になるかもしれない。ゴミ屋敷ならぬゴミ公園となってもおかしくないだろう。
私の家の近所には公園がないと書いたが、私が幼い頃は今は家が立って居る場所に空き地が沢山あり、草ボウボウで、秘密基地とか作っていた。空き地の草が生えていない場所で野球をして、家の窓ガラスにボールが当たって割って怒られる(弁償することになる)なんて、今やアニメやまんがでも使われない昭和の風景だが、実際に私には経験がある。
煩いと怒鳴られても、次の日にはまた遊んでいたなんてこともある。
また、怒鳴られることもあるが、怒鳴られないことも多い。それは、単にその時、イライラした人が怒鳴っただけであり、日頃は優しい人だと分かった時からは、今日はここで遊ばないでと言われて、別の場所に行ったこともある。
そうやって、相互の関係が生まれることもあった時代だ。今はそれが都市部の郊外ほど無くなっているはずだ。
なぜなら、皆が、あの人は悪いと思い込んでいるからだ。
何というか、悪いのはどちらというのが最初から決まっているなら、どちらも関係は改善しない。
<歪なのは記事を書く側も同じ……何が根底にあるのかが分からないと相互の関係が悪化するだけ>
本来は、それをなぜ出さなければいけなくなったのか?
例えば、自治会でやっている公園清掃に若い人が来ないから、高齢者の公園になったのだと言われたら……。子供の親世代が変わっていく必要があるだろう。あの爺さん婆さんは何言っても、公園を使うなという人だったなら、高齢者も若い人も一緒になってその人がそういう行動に出ることを理解したり、その人と対話して改善を要請する必要がある。
今は問題が起きている地域でこんな問題が起きているという情報の提起はするが、その問題が果たして何から起きたのか?逆に、根本としてどう解決できそうなのかを語る人も記事も少ない。だから、結果的に問題はずっと続き、そのうち、ある世代が悪いとか、レッテルへと変わっていく。根本の問題を解決出来なければ、いつかレッテルは差別になり、差別は争いになるだろう。
そうならないために、双方の意見をちゃんとすりあわせていく必要がある。
高齢者やその地域に住んでいた人が殆どいなくなってから、実は彼らが凄く頑張って管理していたお陰で、綺麗だったんだとか、後になって分かったら目も当てられないことになるだろう。

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