批判噴出、政権揺るがす懸念に 「Go To」見直し論浮上 ……報道は 喉元過ぎればなんとやら……GoTo TerribleまたはTroubleへLet's Go!

共同通信社の47NEWSの記事である。この記事を読んでいて腹が立ってきたので書いた駄文である。
本当に日本は喉元過ぎれば熱さを忘れる国である。しかも、情報のプロであるはずのマスコミが……あと、政府関係者も国民を舐めてるよね。


 元々、Go Toの予算組みは、一次補正予算で組み込まれていた物だ。あの段階で、野党や国民からは今補正に入れる必要があるのかという話はかなり出ていたのが、はじまりだった。これ3月時点の草案から入っており、当初は和牛券、お米券みたいな話の1つだったものの延長線にある事業だったようだ。それが案の段階では観光活性のための事業として浮上し、それを議論しながら非常事態に入る。そして、それが徐々に改善の気配を示した4月28日頃に成立した。だから、時期尚早ではないか、2次補正以降で考えるべきだという話もあった訳で、最初から微妙な認識で世間には評価されていた。

その上、事業委託費が、3000億規模と高く問題なった。システム事業投資(継続事業)として行われたマイナンバーカードの設計開発事業費(2500~2800億)だったのを考えてもその異常性は分かるだろう。それが1895億円に減らされることになる。

ただ、これでもはっきり言って高い訳だが(そもそもHPCとしては性能の割に2倍ほど高額な富岳の導入費が1200億円であることを考えても単発としては高い)それには誰も触れない。きっと、凄く汎用性の高いAWSのようなシステムか、Azureのようなシステムが構築されたり、沢山の人員が必要で、とても素晴らしい対応が行われる事業になり、今後行政システムと企業システムを長期間支えることになるか、年間でこの事業委託だけで3万人~5万人規模の雇用が生まれるのだろう。

ちなみに、システム全く使わず手仕事なら1人当たりの雇用コスト24万円/月-給料、事務費、三種保険の維持費などを含む-で6万5000人が働けるレベルの金額である。

はっきり言えば、高いから問題になった新国立競技場の最終的な金額(当初3000億円→事業費1569億円-工期3年)が作れておつりが出るぐらいの額であることを考えると、どういうことか分かるだろう。即ち、元々高すぎた事業費を6割程度まで圧縮したので安くなったように見えるが、現実はかなり高いのだ。少なくとも後1桁は落とせるぐらい高いのである。ただ、報道はそこまで追求しないのは、スポンサーへの配慮等があるのかもしれない。ちなみに、実際には事業が異なるので出来ないが、ここからさらに1000億削って、例えば、水害に回せば初期で4000億円規模を予定している事業費を、25%上乗せ出来る。

まあ、システムを持たない企業がやるから下に投げまくっていく内に高くなるのだろう。
心から笑えない状況である。

ここまで世間は追求はしていないので、あれだが、要は最初からこれには問題があったのだ。

そして、今、感染者が増えていることでその矛先が、感染者の増加も含めた方向へと向き始めた訳だ。100歩譲って上は考えないで上げようという体だ。
そして、それがさらに旅行する人にも向き、観光関連事業社にも向き始めた。当初から今までこれが多くの国民に支持されていたことはない中では、GoTo TravelはずっとGoTo TroubleやGoTo Terribleだったのである。もう22日にはじめても計画通りの申し込みが得られる可能性は低いだろうというぐらい、宜しくない。

これで、感染がどこどこのホテルや旅館で出た、イベントでという話でも出れば廃業やイベントの恒久的な終焉も有り得るほど、世間がこれに向けている目は、恐ろしい物になっているのだから。

即ち、喉元過ぎれば熱さを忘れるを狙ったのだが、喉元を過ぎて忘れたのは、100歩譲って今までをチャラにして考えても、今のやり方はおかしいよねという答えになっているという現実であるはずだが、報道も含めて一応喉元過ぎた体で記事を書いてしまうから、世間は余計に不安になるわけだ。本来なら、これは既に延期するなり中止して国庫に戻すなりした上で、もう一度、条件を構築し直して、掲げるしかないぐらい不味いのだ。


<やるならもっと早くから責任者と責任の所在(ルール)を明確にし、
                          責任の取り方も決めておくべきだった>

これは、コロナ対策全般に言えることだが、別に経済のためだからGoToは感染が広がろうがやるというのは、その覚悟と責任があるなら構わないと私は思っている。

夏は感染者も大半は風邪に留まるから、免疫を付けるためにというなら、そう言えば納得する人も多いはずだ。その代わり、病院での隔離なども冬と違って緩和し、合併症が心配される人だけ別にわけるとか、そういう政策に変えることも考えなければいけない。何故なら隔離病棟を持つ病院が満床になるリスクがあるからだ。そして、今は宿泊施設に空きがあるから軽症療養を宿泊施設でも出来るが、Travelが始まればそれは宿泊施設側も受け入れにくくなり出来なくなるはずだからだ。

そういうこと全く考えていないのが筒抜けなのが、政治であり報道だ。後になって言った言わないの世界に堕ちるのはもう間違いない。予防線を張ろうと必死になり、責任は専門家、責任はギリギリで決める対策を打たない企業、責任は自治体となっていく。そんなの誰が信用するのだという話だ。もうこれしか糸口がないほど疲弊した企業以外は乗らないし、彼らが乗って感染した場合、彼らは政府を批判し、政府は専門家か、感染した個人や企業に投げるだろう。

だからこそ必要なのは、もしも予想以上の感染拡大が起きて、重症患者が増えた場合にそのキャンペーンを張った大臣でも総理でも、官房長官でも、幹事長でも誰でも良いから1人ぐらい役職から下りるなどして責任を取るんだという人を出せるぐらい、覚悟があるかということが求められるのに、それをやる気はなく、いや、俺わるくないし、成果あったし~が、コロナだけでも最初からずっっっっと続いていることが問題なのだ。

感染拡大したら企業が悪い、個人が悪いと言えるようなルールを、ギリギリになって付け焼き刃の感染対策基準にしようとか……常軌を逸している。

本来は、それらを含めて基準を既に何週間前には準備していて、周知し、その要件を満たしていると参加出来るようにする。虚偽などをしてそれを守らず感染が起きたら、営業停止など罰則を、それを守って感染が起きたら、政府がそれに対して十分に責任を取ってくれる(基本的にキャンペーンの主催者が責任を取るのは当たり前※)から、GoTo Travelで安心して旅行が出来る訳だし、業者も不安なく人々を誘致できるわけだ。イベントも開催できるのだ。

※政府支持者の中にはキャンペーンに乗るのは人々だから政府が責任を取る必要がないという人がいるが、民間でも自治体でも何らかのキャンペーンによって想定されている問題や想定が足りなかった問題に対して、責任を取るのはキャンペーンの主催者である。足りなかったとしても許されることは、よほどごく希に起きる場合を除き殆どない。

 だから、想定される問題を先に洗い出しておいてキャンペーンを打つ。それでも、問題が起きることはあるが、それを回避するための努力を開催中もする義務が主催者にはある。それでもし大きな事故などが起きればその責任は主催する自治体や政府、企業が受けることになる。裁判になることだって結構あるものだ。これが分からない人が支持者に多いとしたら、力で抑え込むのが当たり前とか、都合がよいところだけ成果を強調する人が多い人が政府を支持しているという少なくとも民衆を束ねる立場に立つには向かない「人でなし」である。成果を評価されるには相応の責任を取ることを先に示さないとダメであり、問題があったら責任をちゃんと形ある物として取る必要がある。それを取ろうとしないし、取る気がないのが透けて見えるから、このキャンペーンは余計に社会批難(批判ではなく中止を求められる)を受ける訳だ。


<命が大事、経済も大事ではなく……
             どっちも大事な中でどういう決定基準で何を選び、どう責任を取るか>

コロナ下での経済対策というのは、確かに大事だ。しかし、その経済対策がコロナを広げて病院が苦労する状況を再び増やすなら、結果的に死者を増やす恐れもある訳で、それをコントロールするための基準は絶対に必要になる。一方で、ロックダウンやシャットダウンを連発していたら経済や財政は悪化するため、そうそう何度も出来ない。日本全国が一斉にもし自粛をするとしても、次に出来るのは多分冬に一回(最大でも1ヶ月未満)だけだろう。それ以上やれば、国家が破綻する恐れもある。債務を日銀がという話じゃない。東証一部上場企業が大量に潰れでもすれば、日本は終わりだ。
世界の災害や社会状況によって、高止まりしかねない農産品を買えなくなる恐れとかそういう懸念も決して高い確率ではないがないとは言えない程、今世界は秩序や構造が変わってきているのだ。

そういう部分までちゃんと見据えた場合、今しなければいけないのは、アクセルを踏みながらブレーキをといった良く分からない例えの話じゃなく、経済活動を拡大して、病院が困るような状況になったり、死者が増えることになるほど、怖い状況が来た時に、誰が口だけでは無い責任を取り、逆に企業が破綻したり、労働者が市場から溢れて浮浪者が増えたら誰が口だけでは無い責任を取るのか?どう責任を取るのか?それが示されることが1つ。その際に具体的にどういう施策を打つことで、どうなると想定しているかを示すのが必要なことだ。そうすると、ルール(基準)も出来る。

責任を取るためには、国民や企業も守るべき罰も伴うルールが必要であり、そのルールの範囲を逸脱した国民や企業にも責任を取らせる代わりに、それに従っていても、問題が起きたときにそれを議会に提出した(主導した)議員や審議した国会議員が給与カットなどの責任を取ったり、大臣や政務官などを辞任(更迭)させて、責任を問われるぐらいになる必要があるのだ。


<Go Toをやらないとか遅らせるではない
     根本的な問題の対応に誰も着手しようとしないのが問題>

今は、報道がそういうことは全く言わず、ただ感染者が増えるかも、経済が回らないかも見たいな話に留まり、グルグル回しているから問題なのだ。これは一体なにを言いたいのか?という話ばかりだ。本来はそこよりも、実際にどうすればGo Toは評価されるのかだ。遅らせればどこかでやりましょうとなるでしょうという話も出来るが、そもそも本当にそこだけなのかは個人的に疑問だ。もっと言えば、最初から問題が指摘されていたこれを今更、良い方向で使えるのかも疑問であるが、喉元過ぎれば熱さを忘れる人が多いなら期待ほどではなくても……まあやることに意味があるのだろう。そうやって、この国はこれまで効果が薄いことをいくつもしてきた。今回もそれだ。

そもそも、コロナ対策が長期化するのは確実な中で、国民の不安や不満は各国でも高まっているが、諸外国より日本が極端に高くなりつつあるように見える状況で、Go Toは単に問題点を示しやすい道具だったに過ぎないように私には見える。そして、それが最初から今まで続いているのだ。政府はそれを甘く見ていたのだ。たぶん、7月頃には風向きも変わるだろうとか、思っていたのだろう。これまでがそうだったから……しかし、そうじゃなかったのだ。

本当に国民が求めるのは、Go Toをやるやらない。今やるやらないではなく、誰が本当の意味で、病気に対する対策を練っていて、経済に対してどういう向きで動き、何か問題があったときに誰がどういう責任の取り方や旗振りの仕方をするのか?を求めているのだ。それは、これまでもずっとそうだったが、このままじゃこれからもずっとそうなるんじゃないかと不安なのだ。そこを、社会から汲み上げるのが真の報道の仕事であり、政府が積極的に行うべき政治活動であろう。

政権が懸念しているとか、正直どうでも良い。懸念しないならそれこそ血が通っていない証拠になるから、ある種まだ血が通っていたのだろう。むしろ、現状では本当に懸念しているのかも信じられない程度に言葉だけだ。はっきり言うが報道は、そういう政権の目線で見るなと言いたい。社会が本質として何を求めているのか、どうすれば病気に対する不安を払拭できることになるのか?Go Toがそのはけ口になっていることについて上(政治や経済、医療のトップ)が考える記事を書いてほしいものだ。


<成果物と責任と成功における日本の解釈の甘さも影響しているか?>

まあ、こういう話しばかりが出るのは、結局成功の意味を報道も国民も忘れているからだ。若い人など本当の意味の成功を知らない人もいるはずだ。本来、誰からも評価される成功は無難じゃないからね。

長い目で見て結果的に成果を上げるには、その時判断した結果が失敗だったら、その判断をした人間が責任を取るしかない。

その代わり成功したら評価されるべきだが、本来成功というのは予定通り、たまたま上手く行くことなどじゃない。予定通りに行って且つそれ以上を達成したときがいわゆる外からも称賛される成功だ。そこそも無難にうまく回ることは、達成目標を満たしたという内向きの安心であって、いわゆる内部で最後まで問題なくて出来て良かったねという成功ではあるが、社会から見れば普通で当たり前だ。いわゆる悪くなくて良かった。成功だよ!ってことだ。日本では今これを普通によいというが、世界ではUsually、Normal等に過ぎない。Successfulでもfailure/missでもない普通なのだ。

社会が認める成功とは、その後に周りが広い結果を見たときに期待以上の成果や波及を見ることになると、称賛される成功が生まれる。即ち、本当の意味で皆から評価される成功とは、直後より時間が経過してから予想外のところで得られる良い効果だ。


今の日本は残念ながら成功のレベルが低い。何故なのかは分からないが、きっとこれは普通に良いという言葉が世間に浸透してしまったからなのだろう。

それが最後まで出来たことが成功になるのだ。まるで子供のお遊戯会を観に行った親のように上手く出来た(成長した)から褒めようぐらいの感覚になっている。何故親馬鹿という言葉あるのかというと、親はいつも子の見ているため、世間では当たり前の何気ない子の成長を喜ぶからだ。それと同じレベルまで日本は社会の成功が衰えており、政治もそうなった。

しかし、失敗という言葉が想定された以下で悪いことであるように、成功というのは予想外(想定された基準/目標より上である)に良いことを示す。(まあ、低成長に入り企業ではその目標を敢えて低めにして、予想外に成功したというのも世界で出はじめているので今後日本に限らない問題となるだろう。)

そういうことが重なった結果が、今を生んでいるのかも知れない。


<目的と目標が愚か>

その上で、今回のこれで言えば目的と目標が同じ物であることが最大の問題になる。

それは、経済対策をするという目的があり、経済対策をいつまでに幾らの予算ではじめることが目標だった。
その結果、これが経済対策として本当に観光業にプラスになるのかどうか、この時期にはじめて上手く行くのかどうか?経済効果は投じた予算を幾ら程度上回るほどあるのかという本来経済対策に求められる目標が示されないといけないがそれは今のところないと思われる。予算化してただ「はじめる」ことが目標目的化しているのである。

そもそも、これは進むも地獄、戻るも地獄ではない。ちゃんと説明することが出来れば今でも戻る事は出来るし、進むことも出来る。ただ、その覚悟を背負う人が誰も政権内にいないことが全ての過ちに繋がっているのだ。誰か、覚悟をしてどちらを選ぶのか決めれば良い。尚、中途半端に基準なども十分に周知する時間もなく、地域も限定してはじめれば経済対策としての価値はなくなるだろう。私なら、基本的には延期して、次のはじめるタイミングは最初から、例え患者が増えても延期はしないと先に明言しておくだろう。

その代わり、そこで感染者が幾ら以上いる地域や、規程の基準を満たさずに感染が増えている飲食店などが多い地域は、対象から外すといった法令を準備するように野党と働き掛けて法整備を協議をするだろう。国会も閉じているから、こういう法改正も難しい。それでも、支持率が3割あることになっているから、凄い。支持政党なしが8割ぐらいになって支持率5%とかでもおかしくないし、それでも政権が動いているぐらいの状況だったらこのぐらいしっかり対応出来たかも知れない。まあ、今の政権だと投げ出すか、解散してまた与党になったら信認を得たとなり、野党が勝ったら全部適当に否定して、元与党は反発してボロボロになりそうだが……。

と思うのである。


<政治と報道の都合の良い癒着が
           これを招き、今も続いている>

はっきり言うが、政権だけが苦しんでいる訳でもないし、自治体だけが苦しんでいる訳でもない。観光業は死活問題と言っているが観光業だけの話じゃなく、製造業だって割を食っている場所は沢山あり、他のサービス業だって苦しんでいるところは多い。程度が違うとか言う人もいるが、観光業はまだ報道に単純に扱って貰えるから良いよね!という人も世間には沢山いる。多くの人が何かを我慢して、不満を持っているだろう。もちろん、これを商機にしている企業や人もいるだろうが、今はまだ少ないはずだ。
それを残念ながら全て掬い上げる政治家などいないだろう。どんなに神様仏様みたいな人でも全部は無理だ。

その中で何故それが選ばれるのかというと、政治や報道がそれを選んでいるからだ。例え声を大きく上げていても選ばれないと、その対象にはならないかもしれないぐらい、実は結構悪い状況にある企業や個人は多い。

ただ、だからこそ上にいるもの政治家や官僚が責任から逃げた曖昧な発言するべきではないし、報道はちゃんとそれに対して指摘(批判、辞めろとかいう話でも誹謗中傷でもない)をするべきだ。

その中でも、すぐに出来るのは専門家がこう言ったではなく、政治家は国民から選ばれた主権者である以上、専門家の判断ではなく、主権者の判断で行動を決めていることを、もっと自覚して欲しい。それと同時に、報道も主権者(閣僚)に直接善し悪しを聞くのが必要なのであって、主権者(閣僚を含む)が主催する専門家会議のメンバーを、わざわざ呼んで(または相手がホイホイときて)その人に詳しい内容を聞くような体制から離れるべきだ。彼らは基本的に現在進行形の対策に関しては黒子であり続けるべきであり、窓口がいくつもあってはいけないのだ。
その代わり、議事録だけはちゃんと作って公開し続けるのが民主国家の基本だ。それを作って公開していれば、彼らが表に出てくる必要など一つもなくなる。彼らは彼らの専門家の立場として言うべきことを言っているのだから。

これでは、選挙で選ばれた政治家が社会を動かしているのではなく、専門家が全ての責任を負って行動しているように見えてしまい、世間の批判が専門家に向く。結果的に、専門家の意見が畏縮し狂っていく。海外の不満はゼロではないが比較的上手く行っている国を見ればこれは良く分かることだ。基本的に疾病対策をする人は、経済を止めるべきと言い続けているし、経済を重視する人は経済を回すためには経済は止めるべきではないといい続ける。その意見や数字を両方からちゃんと出し続けることで、政治家や官僚はそれを見て間を取って折衷出来る内容を考える。本来はそれが政治家や閣僚、官僚の仕事だ。

最初から、専門家があっちの意見も汲んでこっちの意見も汲んで折衷案っぽいものを会議に出し、これで作られた無難な内容を纏めていたら、全てが中途半端に消えていくだろう。最初から折衷案で突っこんだ意見を出さないから、極論に対して極論で答えるしかなくなる。

こうされたらどうなると言われたら、じゃあお前こうなったとき責任取ってくれんのか?とけんか腰で返すことになる。
これで、そういうことかと気が付く人もいるだろう。最初から折衷することありきで、専門家が配慮したら、どんなに今最適でも説明のプロセスが死んで遂行できなくなるのだ。

まともに会議をすれば極端な意見は必ず出るはずだから、それの落としどころを会議している中で探れば、極論の多くは潰せるようになる。1回の記者会見だけである程度説明出来るようになる。しかし、専門家会議のメンバーがテレビや新聞で各々に足りない部分を補正するために持ち回りで出て動き回るから、結果的になにそのパッチワークな内容となり、専門家も批難される。

そして、政府は逃げてしまうことを覚え、Go Toはこのレベルに堕ちる。

それをこれからもやるのであれば、日本はGo Toとかそういうレベルの問題じゃなく今後も不満を強制的に抑え込まない限り、上手く回らなくなるだろう。中国やロシア的な行動するしかなくなっていくということだ。

本当にそれで良いのか?と本来は問題提起をするのが報道だ。しかし、彼らはずっと喉元を過ぎたら、これまでの経緯を忘れてしまう。
この国は、コロナで死ぬと言うより、政治と報道で破滅するだろう。

これこそ、Go To Trouble!、Go To Terrible!である。


尚、東京の感染者数は重傷者数日曜日には5人だったがそれから月曜日に1人増え、火曜日に1人増え、水曜日に1人増えて8人になっている。今日は夜にならないとこの数が増えているか分からないが、既に東京だけで280人を超えることが午前の段階で出ているため、重症のスケールは今後、急速に増える恐れが高い。しかも、Go Toの影響で、ホテルなどの借り上げも上手く行かなくなり始めていると思われる中で……(これは、たぶん他の自治体でも今後出てくる可能性がある問題である)……単に短期的な内容ではなく、ちゃんと中長期の影響範囲に根差した流れを示したものを伝える報道がなければ、社会は今後より信用できるものを失うだろう。


頼むから喉元を過ぎる報道はしないでくれ、別に状況が悪化したから、見直すのだと政治が決断するならそれは、ちゃんとその理由と責任が示されるのであれば、それで良いからだ。しかし、喉元だけの報道が続くと、何が根元にあったのかが、偽装され見えなくなる。そこが今の日本にとっていやこれまでの日本にとって一番の癌なのだ。今まではそれでも出来たことはあるだろうが、これを繰り返す度にどんどん日本社会は壊れており、このままじゃ、そう時間を置かずに限界に達するだろう。



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