感染症用語、カタカナ語控えて 河野防衛相が提起―新型コロナ …… そもそも使い方がおかしいのです。

時事通信社の記事である。河野大臣が発言したそうだ。クラスターは「集団感染」、オーバーシュートは「感染爆発」、ロックダウンは「都市封鎖」だそうだ。
少なくとも2つは意味が違うのだが……。集団感染ならアウトブレイク、感染爆発ならインフェクションエクスプロージョン(エクスプロディス)やパンデミック(世界的感染流行)である。はっきり言えば、専門家会議が使った言葉はインパクトを狙ったニュアンス語だ。かなり砕けた意訳が成されている。


では、英語を日本語にした場合それぞれの言葉はどういう意味か、クラスターとは特定の因子を持つまとまり(集合体)を意味する。そのため、とにかく集まっていれば感染したという集団感染と別物だ。いわゆる疫学用語として定着しているとも言えない用語で、Cluster of infectionなどとかかれた内容が元だ。これは結果的な集合感染に含まれる因子(何らかの要素条件を持つ密集したまとまり)があると推定して述べる物である。
そのため、今回はどうなっているかは分からないが、諸外国でもこれを一般社会で使うことはこれまでなら少ないはずなのだ。まあ、世界も酷い報道に変わり始めており、変わっているかもしれないが……。

日本は使い方もおかしい。本来ならクラスター感染ではなく、感染のクラスター化(要素として何らかの因子を持つ感染の集団)である。クラスターは感染の前にはつかないのだ。感染の過程にクラスターという集団に広げる因子(スプレッダー要素)があるというだけだ。


オーバーシュート(Overshoot)は、感染爆発じゃないよ。これもある条件を指定した状態で、その条件を大きく飛び越えた(主に悪い)結果になる時に使われる物だ。そもそも、病気だけの用語でもないし、感染用語でもない。投資用語でも使われるし、航空、武器利用などの分野でも使われる。世間一般でも使われないことはない。オーバーシュートだと言えば、計算とは異なる想定以上の数値が出た(規定値も想定していた閾値も遙かに飛び越えた)ということだ。日本語で言えば、「未曾有」(みぞう、予想外)の方が意味は近い。

都市封鎖は、使い分けがいくつもある。最も使われるだろう言葉は、blockade(ブロッカ<ヶ>ード)である。都市ならCityやCapital(首都)が頭に付くだろう。これは、港湾や空港などの輸送拠点を封鎖することを意味する言葉だ。戦争や厄災は含まなかったはずで、だから使われないと思われる。要素が異なるからである。

今回の場合は社会封鎖を含む都市機能停止である。
これには、シャットダウンとロックダウンの2つがある。

前者は、学校などの活動停止を行い活動停止勧告を行うこと罰がないものも(あるものも)含まれる。電源断の意味をそのまま社会に適用しただけのことだ。だから、後述するロックダウンもシャットダウンの一つだ。
後者は監獄のように監視罰則付きで管理制限することである。元々、ロックダウンは囚人を刑務所などに収容して監視することだ。それが社会用語として転用されると、囚人のように監視付き、罰則(懲罰)付きで制限管理されることをロックダウンという。
後者の封鎖は極めて厳しい厳密封鎖となる。尚、日本だとロックダウンは修正して施行された法律を利用することになるが(修正しなくても使えた法である)、未だにどういう条件でこれを使うのかは政府も、国会も示してないうえに、批判がかなりあるので、たぶん相当悪化するまで温存されるのではないかと思われる。


<使う使わないの前の問題>

社会的に間違っている語を間違って使っている事も多々あるのが、日本だ。だから、ルー語とか略語で時々洒落た英語も足すようなDAIGOのようにそれが売りの芸人なら別だが、賢い人は使わずちゃんと意味を訳してから使うことが多い。

使いやすいから使うと、火傷するのが横文字だ。
だから、社会に広く伝播したい情報では横文字を使ってしまうのは良くないことなのだ。日本語があるなら日本語を使った方が良い。英語を使いたいなら、その要領(英語の意味)を先にこういう感じで置き換えますと説明してから話をしないといけない。上記のように本来の解釈が壊れてしまうこともよくあるからだ。

これは今回に限らず、専門家が配慮すべきことである。むしろ、専門家が間違って伝えて広まっている語は世界で下手に使うと日本人の恥をさらすことになるだろう。何故なら、知らずと和製英語のようなズレた意訳を広めていることになるのだから、そうだと思って海外で英語がそこそこ出来る人が使うと、そんな意味だっけ?と思われることは往々にしてあるのだ。まあ、相手もそこまで突っ込まない人が多いだろうが……。


<日本語にない言葉の雰囲気もあるが……複雑な言葉遊びが過ぎる>

確かに、ロックダウンなどは罰則付き命令による都市社会封鎖なので、それ一言で分かり易く使える言葉は日本語にはない。
シャットダウンも電源断を転じた言葉であるため、ないといえる。但し、罰則付きの封鎖をすると言えば伝わることでもある。ロックダウンを使ったのは、きっと政治的な意図があるのだろう。社会封鎖で且つ罰則付きだと、必ず批判が出るからだ。その批判を避けるためと考えれば分かり易い。

でも、今それをちゃんと伝えておいて議論でも批難でも先に世間に確認しないと、いざ突然それをロックダウンはこんな強い制限でしたと始めてから、気が付く人が出たら、余計に従わない人などが出てくる事は有り得るだろう。その辺りの言葉の配慮は大事だ。


一方でオーバーシュートは想定を飛び越える、目標を大きく飛び越すといった言葉であり、「エクスプロージョン!」と大魔法使いが叫ぶようなこと(爆発)とは違う。爆発はしないし、想定している値がいくつかのかを示さないと、オーバーシュートという言葉は使えない。だって目標がないならOver(超過)しているかどうかも分からない。OvershootというのはShoot(狙い撃つ、打ち抜く)ということにOverをつけた物だ。その時点でこの言葉が感染爆発の意味を持たないことは分かるだろう。即ち規定値を大幅に超過した、閾値を大きく飛び越えた事態であって、もし意訳するなら未曾有とか想定外に飛び越えたといった言葉を使うなら分かる。これは、専門家会議が使った言葉だが、彼らは会見で十分にこの閾値となる数字がどれだけなのかなどを示していない。それを飛び越えるとなると、閾値の1.5~2倍を超えるぐらいということになるわけだが……。今後は、日本でOvershootは感染爆発とか、爆発的増加とかそういう意味になるのだろう。そりゃあ、この国から良い論文は出にくくなるだろう。


クラスターに至っては完全にネタ要員だ。新しい言葉を使いたかった人々がこれは使えると使ったようなものだ。そして、クラスター感染という造語が生まれた。感染のまとまりという意味でのクラスター化であるはずが、クラスターを主語にして感染するという言葉が生まれた。これは感染という主語があって、調べるとその要因にクラスターになる因子を持つ人や環境があった(人がいた)ということだ。これは人から人への感染を起こす場所と、免疫要素(排出者との接触要素や接触時間)の因子を示すので、感染のクラスター化とは言っても、飛沫感染、接触飛沫感染、糞口感染、限定飛沫核感染などに加えてクラスター感染がある訳ではない。
それを、先に特定することは出来ないし、出来ないからクラスターという言葉は本来一般に使われる事はない。研究の便宜上、不特定(揺らぎのある)を因子をクラスターという方程式でいうXやyのように代入して使っているに過ぎない。


<横文字を安易に使わないのは賢さである>

日本では言葉の作りが複雑故に、どんな言語でも日本語の中に取り入れやすいという特徴がある。応用が利くのだ。何故、応用が利くのかというと、日本の言語には平仮名、カタカナ、漢字という3つの文字種があり、元々は漢字という大陸伝来の言葉をベースに平仮名や片仮名(かたかんな)が産まれたという特徴に由来すると考えられる。日本語という言語自体が一種の貴族文化としての言葉遊びの延長にあるという特性があり、他の言語で使われる言葉をつまみ食いしやすいように育ってきたと見ることが出来るのだ。

しかし、それは今と昔では少し異なる。
例えば、明治以前ぐらいまでの時代だと、実は日本語にない言葉を国内に取り入れるときには、まず漢字ありきで取り入れられ、日本語として別の読みを与えるケースや日本語で使いやすい音表現に変えて表現することも多かった。しかし、今は全てそれをカタカナに置き換えて安易に入れるようになった。その結果、日本語の意味は分からないが、格好いい英語と信じた言葉を使うという人は増えた。

近年は、良く分からないから、辞書を調べて使い方を知る外来語が結構ある。何でそれが、ここで使われるのか分からないということも結構あるからだ。
もっと言えば、ファンタジック(ファンタスティックのこと)なんて言葉も増えてきた。さらにエネルギッシュ(英:energetic)はドイツ語のenergischだが、これを英語だと勘違いする時代でもある。

横文字の悪い点は、英語だと思い込んだり、都合良く外来語の言葉を短縮したりすることにも使われ始めており、それが結果的に困惑を広げることも多い。雰囲気だけで、こんな感じと思って読み取る人も多いだろうが、それが余計に人と人との会話や文字でのやりとりをすると、相手に別の意味合いで捉えられることも増加していくという悪い側面があり、実際にそういうケースは徐々に日本語では増えているようにも思う。

これが専門用語の説明に中途半端な形で使われ、その説明もないとその説明の意味は壊れていくことも容易に想像出来るが、専門家の一部は、自分の研究の言葉を雰囲気で感じ取っており細かな表現(ニュアンス、微妙な違い、nuanceはフランス語)を説明出来ない人も多い。細かく調べて、いちいちそれに最適化した日本語にする人は実は少ないというより年々減っているのだ。

結果的に、ちょっとずつ意味がズレていく。日本語はそれでも言葉が多岐にわたり機微な表現が多い。だから、海外で使われるありとあらゆる言語の表現を取り入れやすいという特徴もある。しかし、結果的に今使われている日本語の表現だけで十分意味を伝えられるのに、その語彙を知らずに覚えた外国語を使うことも増えていき、余計に日本語が廃れる。

近年は難しい用法が多い日本語に魅入られてを勉強する外国人が増えているというが、彼らの方が日本の沢山ある表現技法を知っていることも多くなっているのは、ちょっと悲しいところだ。本来は、日本語の言葉を上手に使える方が賢くそして分かり易く見えるものである。


まあ、偉そうに書いて居るが、私自身も人の事は言えず、横文字は使いやすいと思ってしまうほど毒されていることに、自分の不甲斐なさを感じる。





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