「エンゲージプリンセス」わずか半年で終了……日本におけるソーシャルゲームの過ち。

最近日本では、スマホゲームやPC向けのソーシャルゲームの終了が相次いでいるようだ。会社の破綻なども以前から結構多かったが、海外では極端に多い訳ではないことを考えると、日本のゲームが飽きられやすかったり、面白味に欠けていたり、開発コストのペイをソーシャルへの直接課金にかなり求めているのだろう。たぶん、このやり方を続けている会社は長く持たない。もうちょっと、一般的なゲームメーカーや、海外のソーシャルビジネスベンダーを見習うべきだろう。

<ソーシャルゲームメーカーの勘違い>

そもそも、日本のソーシャルゲームはある大きな勘違いをしたと考えられる。それは、パズル&ドラゴン前後に始まった課金ビジネスである。これの国内でのヒットが、質の悪いゲームではないゲームを大量に生み出したと考えられる。

ちなみに、海外のスマホやブラウザゲームの大半は、クオリティが極めて高いものも含めて、多くのゲームが課金以外でもAU(Active User)が期待値より減らなければ運用利益が出続けることを想定して作られている。課金があまりなくても、利益が出るのだ。この違いは何かというと、広告モデルの違いである。

海外のゲーム会社が作るものは、ソーシャルゲームでも広告を主体としていることが多い。標準のバナー広告を解除するなら1回だけお金を求め、それとは別にアイテムやゲームコインなどを集めるのに、広告映像を自分で見ることでそれを補うという方法も提供されていたりする。こうすることで、課金が全くなくても、AUが減らなければ利益は一定程度得られる。

何より大事なのは、ゲームが続くこととゲームシステムが完成されていることであって、お金を出せば良い物が手に入るゲームを作ることじゃない。まあ、そういう部分はどうしても来るだろうが、それは徐々に評価が落ちることが多い。そもそも、ソーシャルゲームは元々、課金ゲームではないものが多かったのだから……。


<ソーシャルゲームとは……>

元々のソーシャルゲームは、ハンゲームのようなゲームサイトのことであった。パソコンまたは携帯のブラウザでAdobe FlashやShockwaveなどを使って楽しむゲームだ。当初はテーブルゲーム(ボードゲーム、カードゲームなど)を中心に、軽いものが多かったが、1つのソーシャルサイトに複数のゲームを置き、それをゲーム好きな人が楽しめるようにしたのが始まりだった。ちなみに、収入モデルはバナー広告などであり、基本的にプレイは無料だった。その代わり軽いゲームが多く、それが今でも軽量なゲームや無料で遊べるスマホゲームなどをソーシャルと呼んでいる理由でもある。

まあ、今では広告ブロックが広がっていることやFlashなどが廃止される方針であることもあり、こういうサイトは廃れてきている。

それが、最初だったわけだが……今は形が変わってしまった。

では、今のゲームの問題点とは何か考えて見よう。
最大の問題点は実は本質がゲームじゃないということだ。特に日本で展開されているソーシャルゲームはゲームじゃないことが多い。ゲームじゃないなら何かというと、寄付みたいなものだろうか?ただ、利用者の欲求として見ると収集欲とギャンブルのドキドキ感を味わうための、麻薬のようなものだ。
その理由と仕組みを説明していこう

<くじシステム>

その昔のゲーム内課金は、主にコンテンツの開放に直接お金を加えるものだった。例えば、新しいステージを追加するのにお金が要るというゲームもあったし、サーバーを使う使用料金という形もあったし、体験版で遊んで気に入ったらゲームそのものを購入するのもコンテンツ開放型のゲームである。これは、全ての利用者に平等に、新しい機能が提供され、全ての利用者が平等でレベルや操作の上手い下手を競うことが出来るゲーム(Game/Play)であった。本来のゲームとはこれを言う。

しかし、日本のスマホから始まったソーシャルゲームは、それから大きく外れたシステムで大量の中毒者を出した。
それが、くじシステムである。ガシャという方が分かり易い人も多いだろう。このシステムは課金してくれる病人がいると凄まじい額のお金が賭け棄てられていくという特徴がある。これにはギャンブル要素と収集欲を満たす要素があるからだ。

具体的にどういうシステムかというと、実際の現金(日本円や米ドル)で、ゲーム内通貨やポイント、宝石、チケットなどを購入する。
それを使って、クジを行うわけだ。クジで出てくるものはゲームの種類によって異なるが、基本的には武器だったり、防具だったりと、ゲームの攻略に有利な道具(アイテム)である。その中には、若者がチート(cheat/英語の本来の意味は騙すことだが、ここでは最強みたいな意味があるようだ)アイテムなどと呼ぶ希少(レア)アイテムがある。それの排出率は1/1000かもしれないし、1万分の1かもしれない。
簡単に手に入る通常のアイテムが、1/10で手に入るとしたら、そのぐらい確率が低いのだ。

それを、狙ってお金を投じさせるのが、くじシステムである。

これに恒常的に乗っかりお金を湯水のように使う人(依存者)は、だいたい全体の1%~10%の範囲内と言われるが、日本は月に1回から2回程度の率でお金を投じる人が、世界の数十倍いるといわれる。最盛期には、世界の課金人口の8~9割ぐらいは日本人と言われたほどである。今はだいぶ下がっていると思うが……。

このシステムの重要な点は、現実の社会で言えば、7億円のサマージャンボ宝くじで一等前後賞が出るまで、宝くじを買い続けると思えば分かり易い。その間に、外れに100億掛けても7億を手に入れたい訳だ。システムによるが、同じものが重複してゴミになるかもしれない。
それでも、重傷者は欲するのである。これは、ギャンブルに填まりやすい素質を持った人や、収集欲が強い人には出やすい傾向だ。そして、1度大きくお金を払ってしまうと、止めにくくなる。そこに金を投じたという点で無料だったものに価値が出てくる。

では、これはゲームなのだろうか?というと……実は、課金する人から見るとこれはゲームではない。ただ、物欲を満たす道具であり、ギャンブルの一種になる。帰ってくるのがお金じゃなく、仮想の何かに過ぎない。もちろん、ゲームの進行は別にあるのでそれもやるならゲームだが、平等に戦えるPlayの要素はなく、どちらかというと金と運だけで動く。だから、ゲームがしたい人からの評価は伸びにくくなる。

そして、このシステムの最大の汚点は……

<ダラダラと長く、中毒者を求める>

という点である。私は、いくつかこのての記事を書こうと試したゲームがあるだけで、課金したことはないが、したいなと思ったことは確かにある。
ただ、することは今のところなかった。理由はとても簡単だ。この手のソーシャルゲームはキリが無いのだ。終わりがない、区切りがない。しかも、日本のゲームは明らかに課金してくれる人を探しているのが見え見えで、続けたいと思う人が減るというのも厳しい現実だ。

そもそも、日本版のソーシャルゲームの多くは、1ヶ月か2ヶ月、ゲームで登場する新アイテムの額と、無課金で出来るゲームの範囲を計算して見ると分かるが、無課金で全てやりこんだと仮定して、それをクリアするのは全く不可能なように設計されている。(ちなみに海外のゲームはものによるが、ずっと得意な人がやっていれば達成できる程度に作られていると思われるゲームもある。)

テレビのCMなどを見れば分かるが、今はゲームのイベントに関するCMも多いのは、これを求めている証拠でもある。イベントというものを作りそこに人を集めることで、AU率ではなく課金率を上げさせているわけだ。それをやらないと、赤字になるほどゲームシステムやサーバーに投資しているのだろう。

ただし、イベントが増え全体のアイテム量が増えていくほどゲームを新規でやりたいと思う人は減って行く。
それを開発者が理解しているのかは分からない。


以下の表はそれを示すものだ。

SGX.png
イベントが増えていくと、アイテムの種類や数が増えていく。
すると、ゲームを始めるタイミングが遅くなればなるほど、全てのコンテンツを集められるチャンスは下がっていく。

それを補うには、短期間に多くのお金を入れて追いつかないといけなくなる訳だ。会社として当初求めていた額は、全てに課金して1000という値だったとしても、2年目から始めた人は、追いつくのに年間で2000になるまで投じなければならない。場合によっては、一部のイベント専用グッズはそれでも手に入れることが出来ない。それを3年目、4年目に始めて目にすると、数日やれば無理なゲーム(無理ゲー)であることを実感する。

これを抑え込むには、2年目に始めて1年やれば1年目からやっている人と同等に追いつくような仕組みが必要だが、それはやるつもりがない。何より、お金を出せばレベル1で本来はヒノキの棒で戦ってレベルを上げて、鍛えていくような状況で、伝説の剣がポロリと落ちてくるみたいなこともあり得る訳で、不平等感が必ず生じる。それが、特に長く続いているゲームほど影響するのである。

それなのに、実は終了も出来ない……

<やめられない、とまらない、ソーシャルゲーム♪>

このシステムに依存してきた大手が今業績を落としている本当の理由になるのだが、実はソーシャルゲーム会社が収益を上げていたのは、このシステムが成功したことと同時に、スマートフォンを使ったことが無い人が、ソーシャルゲームに填まってくれていて、止めていく人の数より入ってくる人の数が多かったからという理由がある。

今、入ってくる人は減ってきているため、ソーシャルゲームで新しいものを始めても、実は成功しないことが多いのだ。

何故成功しないのかというと単純だ。
あなたが今やっているソーシャルゲームの他に、新しいゲームをやってあなたは、そのゲームの時間を取れるだろうか?
今やっているゲームが十分楽しく、課金したことがあるなら、ソーシャルゲームは課金したという実績が収集欲を維持し、惹き付け続けるという要素があるため、他に移る人はそれほど多くない。よほど、先進的でなければ多くの人はそうそう寄りつかないのだ。

但し、全くスマホでゲームをしたことが無かった時代なら、それで移る人が居たというだけである。

その状況で、ソーシャルゲーム会社は同じクジ要素を持つ新作を作り、売り込みました。……という時に、成功するかというと前作より成功する可能性は低い。新規にそこでギャンブルをしよう、収集欲を思いっきり発散しようと思う人は少ないだろう。
そうなると、古いものを維持し続けるしかなくなる。

これは、新しいゲームコンテンツ制作会社が、沢山金をつぎ込んで、課金で儲けるゲームを作っても成功しないのも、そういう現実を計算していないからだ。そもそも、この手のくじシステムが利益の中心ならばそれは、ゲームじゃない。ただのギャンブルをゲームという体で組み込んだだけだ。成功すれば絶大な利益を生み出すが、既にそれが当たり前になった時代に、それを中心に開発しても売れるはずはない。だって皆そのシステムは、サービスが終われば手元に何も残らないことを知っているからだ。

まだ、ディスクシステムやカセットシステムだった頃なら、少なくともセーブデータを消さない限り、集めたものは残っていたが、今のゲームはそれも残らないのだから。


<本来のソーシャルゲームに立ち返る>

最初の方に戻って、本来のソーシャルゲームは、広告モデルが中心だった。多くのゲームがサイトに集まり、そこに人が集まり、そこに示される広告で、ビジネスが成り立った。ソーシャルゲームの多くは単純なものが多かったが、課金システムがなくても、1度作ってしまえばずっと同じコンテンツを楽しめるテーブルゲームや、完結型のアクションゲーム、シューティングなどが多かった。
飽きたら、新しいゲームを探せば良い、そんなレベルだったわけだ。

それを変えたのが、くじを持つゲームだったが皆がそれに乗っかることで、今、それに飽きる人は多い。そもそも、課金してまで何かを集めても、そのゲームサービスが終わると何も残らないなら、お金をだす意味もない。それが見えているなかで、未だにそれに固執する企業が多いなら、それは大きな過ちとなるだろう。

最近は一部の大手海外メーカーもくじシステムを取り入れ始めて、批判を浴びているケースもあるが、このシステムは結局、作る側も、やる側も投資をずっと続けないといけない都合上、止め時が分かり難く、気が付いたらヤバいという事はよくある。

昔のゲームは、買い切りゲームを作って、それがヒットすればそのヒットしたお金を元に次の作品や後作を作るやり方だった。だから、乗り換えも用意で売れていた。しかし、今は続くが故に、引き際も見つからず、後継や次回作を作っても同じシステムなら、それには乗ってくれないという事態になる。どうせ、ずっと課金しないとダメなんだろうと思わせてしまった時点で、このシステムは、次で使ってはいけないのだ。


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