「瓶入りの手紙」132年ぶり発見=投入後の期間で世界最長……
時事通信の記事である。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018030700251&g=int
2008年現在で132年前(1886年)と明治19年である。この頃の日本では、学校令の公布などを行なっていた。まだ、ようやく近世へ歩み始めた頃である。まあ、今の時代に影響として残っているものもあるメートル条約に加盟し、単位にメートル法が使われるようになる。まあ、体の部位や自由に大きさを変えられる器具を使って測定していた目安分量、一尺一寸などが使われなくなる第一歩が始まったわけだ。
そして、この年はベンツがガソリンエンジンの自動車特許を取得した年でもある。今では当たり前の技術や基礎教育の原型の多くが産声を上げていた頃である。まあ、逆に言えばあれから基本的な部分は、さほど変わっていないということでもある。
革命や維新という言葉は今では簡単に使われるが、言葉として使う革命と、実際に革命として歴史を刻む事柄では、後に与える影響期間が全く異なる(本来の革命は世紀単位でその後の基板となる)ということだろう。今は、言葉の安売りが多すぎるのである。
その頃欧州では、近代化の波も一巡しつつあった。
何せ、フランスパリのランドマークであるエッフェル塔の建設が始まるのは、この翌年1887年からである。
米ニューヨークで、自由の女神が完成したのが1886年である。
ランドマークでも、その頃の世界は今の礎となるものを多く生み出していた時代である。
まあ、欧州での戦争時代も一段落していた時代である。厳密には、フランスはアジアに植民地を広げ、戦争を繰り返していた。ドイツも、アフリカから太平洋にかけて植民地を広げていた時代である。
だから、こういう調査が行われたともいえる。世は大航海というロマンから、土地取り合戦(一種の国による悪徳地上げ)をして国益を競うという、今の国盗りは許しませんという欧州とは真逆のことをしていたわけだ。まあ、それが改心されるのは、2度の世界大戦と呼ばれた戦争が欧州を舞台に起きてからだ。
人は、自分たちが当事者(被害者)になって、初めて自分が行った行動の愚かさに気が付くという、ちっぽけで情けない存在であることを示している。
この海流調査や個人的な瓶手紙の交換は、結構な場所で行われているはずで、何年かに一度、いや毎年、毎月のようにどこかでは見つかってはいる。ただ、行っている年代はそれぞれに違い、一部はそういうデータもない個人の手紙だったり、その場の流れで行われたものというケースもあるため、年代測定が出来るものが見つかるのは珍しい。
何より凄いのは、100年単位で海を渡るほど、幸運な瓶があったということだろう。普通は瓶に浸水して沈没し流れ着いても判読不明になったり、割れてたどり着けなかったりということが考えられるが、運良くそれを逃れ、100年以上漂い続けることが出来た訳だ。
これを、流した人は既にこの世にいないのだが、もし伝えることが出来たとしたら、どう思うのかを知りたくなる。
こんなに長く掛かってどこかに届くことも予想していたのか?それとも、予想外で目を丸くするのか?
そういうのを想像すると、ちょっと楽しい。
「ひ、ひゃく……」
と、船長は一瞬目を丸くしたが、船員達の目に気が付いたのか、ゴホンと咳払いをすると。
「想定の範囲内だな。調査でいくつも流したのだからそういうのもあるだろう。私としては200年後、いや1000年後に日本海で見つかってもおかしくないと思っている。」
尚、これを見て安易に瓶手紙を流そうと思ってはいけない。
今は、海洋汚染も深刻で、光の加減によって瓶やプラスチック製品はクジラなど大型動物や魚類の誤飲などに繋がることがある。そのため専門家などの監修なくして安易に行えないのがこういう行動であり、不法投棄扱いとなる場合もある。そもそも、この瓶入りの手紙を海岸から流す場合、海流(少なくとも海流に向かう離岸流)に流さないと、すぐに陸に戻ってくる場合も多い……。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018030700251&g=int
2008年現在で132年前(1886年)と明治19年である。この頃の日本では、学校令の公布などを行なっていた。まだ、ようやく近世へ歩み始めた頃である。まあ、今の時代に影響として残っているものもあるメートル条約に加盟し、単位にメートル法が使われるようになる。まあ、体の部位や自由に大きさを変えられる器具を使って測定していた目安分量、一尺一寸などが使われなくなる第一歩が始まったわけだ。
そして、この年はベンツがガソリンエンジンの自動車特許を取得した年でもある。今では当たり前の技術や基礎教育の原型の多くが産声を上げていた頃である。まあ、逆に言えばあれから基本的な部分は、さほど変わっていないということでもある。
革命や維新という言葉は今では簡単に使われるが、言葉として使う革命と、実際に革命として歴史を刻む事柄では、後に与える影響期間が全く異なる(本来の革命は世紀単位でその後の基板となる)ということだろう。今は、言葉の安売りが多すぎるのである。
その頃欧州では、近代化の波も一巡しつつあった。
何せ、フランスパリのランドマークであるエッフェル塔の建設が始まるのは、この翌年1887年からである。
米ニューヨークで、自由の女神が完成したのが1886年である。
ランドマークでも、その頃の世界は今の礎となるものを多く生み出していた時代である。
まあ、欧州での戦争時代も一段落していた時代である。厳密には、フランスはアジアに植民地を広げ、戦争を繰り返していた。ドイツも、アフリカから太平洋にかけて植民地を広げていた時代である。
だから、こういう調査が行われたともいえる。世は大航海というロマンから、土地取り合戦(一種の国による悪徳地上げ)をして国益を競うという、今の国盗りは許しませんという欧州とは真逆のことをしていたわけだ。まあ、それが改心されるのは、2度の世界大戦と呼ばれた戦争が欧州を舞台に起きてからだ。
人は、自分たちが当事者(被害者)になって、初めて自分が行った行動の愚かさに気が付くという、ちっぽけで情けない存在であることを示している。
この海流調査や個人的な瓶手紙の交換は、結構な場所で行われているはずで、何年かに一度、いや毎年、毎月のようにどこかでは見つかってはいる。ただ、行っている年代はそれぞれに違い、一部はそういうデータもない個人の手紙だったり、その場の流れで行われたものというケースもあるため、年代測定が出来るものが見つかるのは珍しい。
何より凄いのは、100年単位で海を渡るほど、幸運な瓶があったということだろう。普通は瓶に浸水して沈没し流れ着いても判読不明になったり、割れてたどり着けなかったりということが考えられるが、運良くそれを逃れ、100年以上漂い続けることが出来た訳だ。
これを、流した人は既にこの世にいないのだが、もし伝えることが出来たとしたら、どう思うのかを知りたくなる。
こんなに長く掛かってどこかに届くことも予想していたのか?それとも、予想外で目を丸くするのか?
そういうのを想像すると、ちょっと楽しい。
「ひ、ひゃく……」
と、船長は一瞬目を丸くしたが、船員達の目に気が付いたのか、ゴホンと咳払いをすると。
「想定の範囲内だな。調査でいくつも流したのだからそういうのもあるだろう。私としては200年後、いや1000年後に日本海で見つかってもおかしくないと思っている。」
尚、これを見て安易に瓶手紙を流そうと思ってはいけない。
今は、海洋汚染も深刻で、光の加減によって瓶やプラスチック製品はクジラなど大型動物や魚類の誤飲などに繋がることがある。そのため専門家などの監修なくして安易に行えないのがこういう行動であり、不法投棄扱いとなる場合もある。そもそも、この瓶入りの手紙を海岸から流す場合、海流(少なくとも海流に向かう離岸流)に流さないと、すぐに陸に戻ってくる場合も多い……。
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