スバル、完成車の無資格検査が発覚……日本の制度は形だけ。
ブルームバーグの記事だがこのスバルの状況を見ると、完成車両の無資格検査は、もうほぼ全てのメーカーがやっているか、やったことがあるんじゃないかという疑惑に変わりそうだ。各社が本気で現場を調べれば、出てくる可能性は高い。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-10-26/OYGFDA6S972V01
<立派な制度と低い精度>
「せいど」には2つある。法律や基準、手順、手続きなど文書など形あるものとして示し、ルールとして実行する制度と、物品やサービスの製造や設計、販売等において、品質の善し悪しを示す精度である。
このところ出てくる「せいど」の問題は、精度の方だが、厳密には日本にしかない制度や世界中で使われる制度のいずれかを逸脱して、精度を下げるか偽装するというものだ。
こうなってくると、既に制度そのものが死んでいるも同然だ。
日本の素晴らしいところは昔から、制度が高い品質精度を実現できるように、定められていたからである。
教育も、製品を作る工程でも日本の制度は一級品であり、今でもそれを維持しているのだ。
しかし、現実を言えば形としていくら法律や品質基準の工程表がこれをやりなさい、この通りじゃないと認めませんと書いていても、実際に商品を売り出すときに、それを満たしていない物でも、一級品ですと言っていたら、全く意味はない。中国のばった物と何ら変わらない。強いて言えば、日本は高品質なはずだというイメージと、中国のばった物は、本当に品質が悪いばった物が多いというイメージの差ぐらいだ。(現実にその率は高いが全部がそうとは限らない)
即ち、やっていることは諸外国のばった物メーカーと同じで、同じ程度日本の信頼(精度に対する信頼と制度に対する信頼)は傷ついているということだ。
<何故ここまで問題は広がるのか?>
まあ、端的に言えば日本の産業構造がブランド制度主義だからだろう。そして、それを管理監査する組織は、たいていの場合、放任主義だ。要は、性善説の中にある。だから、こういう結末になる。
要は、立派な枠組みはあるが、中身はすかすかなのだ。シロアリに食われた豪邸である。
そして、これからもこういう問題は出続ける。それは、いくら大きく立派な家を建てても、住む人が一人なら管理は出来ないからだ。
あなたの、祖父母や父母が住む実家の家は、2階建てで大きく、子供の頃は手狭だったとしても、大人になりその家をあなたが出て行くと、広く年老いた夫婦には、管理も難しい家になるということだ。
これは、ロボットがいればどうにかなると思ったら大間違いである。何故なら、ロボットを作るのも管理するのも最終的には人だからである。もし、ロボットがロボットを管理できるぐらいまで進化し、自分で考えられるようになれば、人は要らない。何故なら、ロボットがロボットの望む物を作るのだ。人の望む物をロボットが無償で与えてくれるかというと、相手の人柄によるであろう。
話を戻すと、制度がいくら立派でも、制度を運用する人が絶対的に足りないか、足りていても制度を熟知していなければ、制度は立ちゆかなくなる。まあ、いくらプレミアムフライデーを制度に組み込んでも、制度を知らなかったり、制度を使う人がいないなら、成り立たないということだ。
それが日本の物作りにおける現実だったということになる。
<日本は制度の作り手の頭が固い>
それだけではない。もう一つ大きな問題がある。それは、定められている制度の多くが、複雑だということだ。法律を見てもそうだが、例えば刑法第25条
次に掲げる者が三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から一年以上五年以下の期間、その執行を猶予することができる。
1 前に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
2 前に禁錮以上の刑に処せられたことがあっても、その執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
もっとここまで、書かずとも短く出来るだろう。
付則などが足されるときには、徐々に後ろに文字列が増えるケースもあり、それらが制度を複雑怪奇なものへと変えていく。抜本的に見直すというのが日本人はとても苦手で、尚且つ制度を作るものは、難しい解釈が出来るものを作るほど、素晴らしい制度設計者だと思い込んでいる。
これは、商品開発でも同じだ。iPhoneが当初、操作性を中心として凄いと見せたが、日本ではだいたい○○エンジンが搭載されていて、どれだけの演算がされるのが凄いのである。数字はとても大事だが、発表会でカジュアルな記者を前にして言う話じゃない。正直、何倍高性能ぐらいで十分なのだ。
簡潔に出来ないルールは、徹底するのが難しい。
何故なら、ルールを解釈して、したのものに教えるための制度が必要になるからだ。要は、ルールブックを読むためのルールブックを作るということだ。下手をすればそれでも難しいため、サルでも分かるルールブックを別途出稿する必要があるかもしれない。
そうやって、複雑なルールを作るため、どこに問題があるのか、何をすれば良いのかが分からないケースもある。
<形骸化を防ぐ>
たいていの場合、歴史はどこかで繰り返されるものだ。それは、我々人はいくら後生に記録を残しても、子や孫に語り繋いでも、全ては繋げないからだ。だから、どこかで、過去と同じような出来事を繰り返す。それが、形骸化である。それを防ぐために、本来は制度を定期的に見直し、そこに手を入れてて精度を高めていくことが重要だ。
そして、それを見直したときに自分たちが問題行動をしていないかを確認するのもまた重要なことだ。
即ち、PCDA(plan-do-check-act )である。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-10-26/OYGFDA6S972V01
<立派な制度と低い精度>
「せいど」には2つある。法律や基準、手順、手続きなど文書など形あるものとして示し、ルールとして実行する制度と、物品やサービスの製造や設計、販売等において、品質の善し悪しを示す精度である。
このところ出てくる「せいど」の問題は、精度の方だが、厳密には日本にしかない制度や世界中で使われる制度のいずれかを逸脱して、精度を下げるか偽装するというものだ。
こうなってくると、既に制度そのものが死んでいるも同然だ。
日本の素晴らしいところは昔から、制度が高い品質精度を実現できるように、定められていたからである。
教育も、製品を作る工程でも日本の制度は一級品であり、今でもそれを維持しているのだ。
しかし、現実を言えば形としていくら法律や品質基準の工程表がこれをやりなさい、この通りじゃないと認めませんと書いていても、実際に商品を売り出すときに、それを満たしていない物でも、一級品ですと言っていたら、全く意味はない。中国のばった物と何ら変わらない。強いて言えば、日本は高品質なはずだというイメージと、中国のばった物は、本当に品質が悪いばった物が多いというイメージの差ぐらいだ。(現実にその率は高いが全部がそうとは限らない)
即ち、やっていることは諸外国のばった物メーカーと同じで、同じ程度日本の信頼(精度に対する信頼と制度に対する信頼)は傷ついているということだ。
<何故ここまで問題は広がるのか?>
まあ、端的に言えば日本の産業構造がブランド制度主義だからだろう。そして、それを管理監査する組織は、たいていの場合、放任主義だ。要は、性善説の中にある。だから、こういう結末になる。
要は、立派な枠組みはあるが、中身はすかすかなのだ。シロアリに食われた豪邸である。
そして、これからもこういう問題は出続ける。それは、いくら大きく立派な家を建てても、住む人が一人なら管理は出来ないからだ。
あなたの、祖父母や父母が住む実家の家は、2階建てで大きく、子供の頃は手狭だったとしても、大人になりその家をあなたが出て行くと、広く年老いた夫婦には、管理も難しい家になるということだ。
これは、ロボットがいればどうにかなると思ったら大間違いである。何故なら、ロボットを作るのも管理するのも最終的には人だからである。もし、ロボットがロボットを管理できるぐらいまで進化し、自分で考えられるようになれば、人は要らない。何故なら、ロボットがロボットの望む物を作るのだ。人の望む物をロボットが無償で与えてくれるかというと、相手の人柄によるであろう。
話を戻すと、制度がいくら立派でも、制度を運用する人が絶対的に足りないか、足りていても制度を熟知していなければ、制度は立ちゆかなくなる。まあ、いくらプレミアムフライデーを制度に組み込んでも、制度を知らなかったり、制度を使う人がいないなら、成り立たないということだ。
それが日本の物作りにおける現実だったということになる。
<日本は制度の作り手の頭が固い>
それだけではない。もう一つ大きな問題がある。それは、定められている制度の多くが、複雑だということだ。法律を見てもそうだが、例えば刑法第25条
次に掲げる者が三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から一年以上五年以下の期間、その執行を猶予することができる。
1 前に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
2 前に禁錮以上の刑に処せられたことがあっても、その執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
もっとここまで、書かずとも短く出来るだろう。
付則などが足されるときには、徐々に後ろに文字列が増えるケースもあり、それらが制度を複雑怪奇なものへと変えていく。抜本的に見直すというのが日本人はとても苦手で、尚且つ制度を作るものは、難しい解釈が出来るものを作るほど、素晴らしい制度設計者だと思い込んでいる。
これは、商品開発でも同じだ。iPhoneが当初、操作性を中心として凄いと見せたが、日本ではだいたい○○エンジンが搭載されていて、どれだけの演算がされるのが凄いのである。数字はとても大事だが、発表会でカジュアルな記者を前にして言う話じゃない。正直、何倍高性能ぐらいで十分なのだ。
簡潔に出来ないルールは、徹底するのが難しい。
何故なら、ルールを解釈して、したのものに教えるための制度が必要になるからだ。要は、ルールブックを読むためのルールブックを作るということだ。下手をすればそれでも難しいため、サルでも分かるルールブックを別途出稿する必要があるかもしれない。
そうやって、複雑なルールを作るため、どこに問題があるのか、何をすれば良いのかが分からないケースもある。
<形骸化を防ぐ>
たいていの場合、歴史はどこかで繰り返されるものだ。それは、我々人はいくら後生に記録を残しても、子や孫に語り繋いでも、全ては繋げないからだ。だから、どこかで、過去と同じような出来事を繰り返す。それが、形骸化である。それを防ぐために、本来は制度を定期的に見直し、そこに手を入れてて精度を高めていくことが重要だ。
そして、それを見直したときに自分たちが問題行動をしていないかを確認するのもまた重要なことだ。
即ち、PCDA(plan-do-check-act )である。
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