昔の携帯に思う。近年携帯(スマホ)新製品に魅力がないのは、固執しているからかもしれない。
ちょっと訳あって、古い携帯電話の記事を読んで見たのだが、今は無き東芝ブランド(現在は富士通)と、日立ブランド(日立カシオ→NECモバイル→撤退)の携帯電話である。コンセプトと形が面白いので、ここに載せることにした。
http://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/45446.html
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0601/19/news016.html
Mobile Hi-Vision CAM Woooは、見るからにビデオカメラである。今、Androidベースで出したら売れないかなと思うほど、ギミックが凄い。当時は開発に携帯キャリアの開発費が潤沢に出ていたため、出来たことだが、それにしても今のように大した新機能もないのに、10万とかするスマホを見ていると、ため息が出てしまう。
当時は、機種変更でも、新規でも一括で3万~5万ぐらいで買うことが出来た。これは、販売奨励金のお陰というよりは、携帯会社が自社開発して全量買い上げだからこそ出来たのだろう。
東芝の方は4GBのHDDを内蔵している2004年の品だ。この頃、auは学生向けや、若者向けの携帯電話を続々投入させていた。そして、LISMO Musicにも対応し、BluetoothによるA2DPにも対応していた。そのため、ヘッドホンやBluetoothスピーカーをワイヤレスで使えたという特徴があった。まあ、音はお察しくださいだが……。
考えて見ると、携帯やスマートフォンで音楽を再生するのに、音質を考える時代がやってきたのは、2010年代になってからである。そもそも、雑音の多い外に出歩いて高音質を求めるという需要自体が変な話だな、という気も今となっては思うのである。まんまとメーカーに乗せられているというところだろう。
F502iは私が、買いたかった携帯電話である。i modeがカラーで使える先進的な奴だった。ただ、印象として女性向けの感じがやはりあったので、買うことは無かった代物だ。しかし、i modeが使えて、256色のSTN液晶は魅力的だった。ちなみに、3和音という和音数分かるかな?学生さんは、携帯で着メロを必死に打ち込んでいたのを思い出す。あの頃は、着メロ打ち専門の雑誌なども書店にあった。
http://www.watch.impress.co.jp/mobile/column/catchup/1999/12/09/
http://www.watch.impress.co.jp/mobile/news/1999/11/30/f502i.htm
尚、初期はSG音源(<プログラマブルまたはソフトウェアコントロールド>サウンドジェネレーター音源)、それからFM音源などが使われていた。徐々にそれがFont音源(Mobile DLSベース/MIDI音源)とPCM/ADPCMへと変わっていた。携帯電話で着うたが始まったのは、PCMが携帯に採用されたからである。
この間には、PHSという産業もあったが……それは今でも若干残っている。来年には廃止だが……。企業や病院では今でも構内携帯電話に使っているところもあるかもしれない。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/1018922/042400079/
さあ、もっと戻るとポケットベルの時代までさかのぼる。左のGoogle検索画像にあるポケベルのいくつかは、実際に使ったことがある。
これは、基本的に相手に連絡してもらうために、ポケベルに連絡頂戴といった通知をするためのものだった。相手の電話番号(ポケベル)に電話をすると、発信者通知と呼び出しが掛かるという面白いものだ。相手は、それを受けて、折り返し公衆電話や固定電話から電話をする。
最後には、学生の玩具になり町中の公衆電話に学生さんが、並んでポケベルにメッセージを送りまくるという現象も起きた。ここで生まれたのが、最初期の絵文字(海外でもemoji)でありハートマークだった。これが、後の携帯メールにおける絵文字へと繋がる。
ちなみに、送るメッセージのプッシュ番号は、NTTドコモと、テレメッセージで、一部特殊文字の仕様が異なっていたが、もうよく覚えていない。
今若い人からすれば、何が面白いのか分からないかもしれないが、スマートフォンの新製品を、見ていて思うのは、同じデザイン、同じ性能の強化、アプリケーションの拡張が殆どで、代わり映えがしなくなったなと言うことだ。
これは、WindowsやMacOSにも言えるが、何というか、もうソフト任せという時代に入っているんだなとつくづく思う。それはそれで進化として分かるが、何というか力業でやっていて、ハードとのバランスは二の次というものも多くなったように感じる。
これが結果的に、若者が商品に固執しなくなっている原因かもしれない。要は、どれも同じに見えるから、特別な一つを自分で選ぶという発想がなくなっていくのだろう。
例えば、カメラ機能、ソフトとセンサーは強化されているが、本体を薄くするという発想がそれを相殺する。レンズを増やす、カメラの場所を変えるという手法を採れば、多様性と画質の圧倒的な差が産まれることもあるというのに。カメラの数を増やすより、バラエティが広がるのだ。
今から7~8年前の製品を見ると、折りたたみの携帯電話なのに、筒型のビデオカメラになり、液晶を横に倒すとテレビとしても使え、まるで下のテンキーはキーボードのようにも見える。何とも面白ギミックが一杯だった。
10年ぐらい前になると、HDDが搭載された携帯電話で音楽が聴けるというのが、売りだった。
当時の4GB携帯電話だが、標準搭載する携帯電話のストレージとしては大きな容量だった。
何せ、携帯のストレージは数百メガバイトだった時代である。MiniSDカードで2GBオーバーがようやく安くなり始めた頃だった。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0601/19/news091.html
そうやって考えると、128GB~256GBぐらいのストレージが限界の今、1TB~2TBのストレージを搭載したスマホを登場させるようなものだ。しかも、オーディオを徹底して強化するということになる。まあ、GRANBEATの強化版だろうか?
当時は面白い製品が沢山合ったというのは簡単だが、何故人はそう思うようになったのだろうか?
それは、もしかすると固定観念を共有する社会が広まったからかもしれない。
<今、スマートフォンはスレートでスマートというイメージが進化の邪魔をする>
スマートフォンは先にキーボード(フルキーボード)付きのスライドや折りたたみが存在し、その後にスレートが出た。今更そちらに戻っても結局は、退化していると思われることが問題になる。
以前一度書いたが、スマートフォンは、賢さ=スレートでシンプル、スクリーンキーボードという流れがイメージなのだ。これが、固定概念となり崩せない。これは、ある意味では、ジョブズCEOの戦略通りであり、彼の残した呪縛(乗り越えるべき山)のようなものである。
実はこれを崩す方法は、電話ならスマホというコンセプトから目を背けることにある。
スマートの次の電話を作ることだ。実を言えば、スマートフォンはフィーチャーフォンを逆に進んだものである。
フィーチャーフォンは、ベーシックフォンで誕生した縦長のスレートデバイスに、i modeのような機能とアプリを追加していったものだ。その際に、ハードウェアギミックが増えていった。まるでトランスフォームするような製品も出たのだ。即ち複雑化の道をたどった。
しかし、スマートフォンは実は最初からキーボードをスライド格納したり、標準で搭載し、タッチペンを備えたりしてギミックを売りにしたものだった。要は、初期の製品はギミックがある程度追加された、フィーチャーフォンのOS機能をPCに寄せたものだったわけだ。即ち、ハードがある程度複雑な状況から産まれたのがスマートフォンだ。
しかし、スマートの名にふさわしい形に、OS側で昇華させたのが、iOSであり、その延長線上にあるのが今のスマートフォンだ。簡単に言えば、可変スタイル(複雑)→スレートというシンプル(単純)に変化させたのだ。だから、これ以上の進化は望めない。
これは、フィーチャーフォンがスレート→ギミックで進化をスマートに譲り終えたのと真逆の流れであり、複雑化はスマートフォンの退化と同じになるからだ。実はそこに、スマホとフィーチャーフォンの限界がある。
<スマート(賢さ)故のイメージ>
もしも、ジョブズがスマートフォンの次を想像するとしたら、Special(ize) Phoneなどの別の分野を生み出している可能性はある。またはSmart Feature Phoneかもしれない。たぶん、何らかの先進性を加えて、ハードウェアギミック付きの新しい携帯電話を、ジョブズCEOは今年発表したかもしれない。10年だし。
ちなみに、日本で売っているガラホはコンセプトも、製品の質も話にならない。これは、最初からスマートフォン優位で開発されており、スマートフォンを超える特別感(特化)がないのだ。
基本的に、スマートフォンは新世代のBasic Phoneとも言える。スレート型でF502i Hyperなどとよく似たものに戻っているからだ。だからこそ、この次に目指すべきは可変スタイルと専門性を高めることになる。
そこで重要なのは、スマートフォンじゃない新しいジャンルの携帯電話デバイスを普及させることである。そうすると、実は一番的を射ているのは、昔の携帯電話、特に日本の00年代のスタイルをスマート化するのが一番よい。
(実際にはApple Watchが、ジョブズ的にはその研究用だった可能性も否定は出来ない。)
何故やらないかというと、あくまで、スマートフォンというイメージがあり攻めにくいからだ。さらに、キャリア側との共同開発による開発コスト吸収力が失われたことも大きい。それをリードするはずだった人は、既に亡くなっている。日本のキャリアが中途半端に行っているAndroid携帯電話で、機能を制限し、ガラホなどとして売っているのもイメージの足を引っ張る。
あのコンセプトを、Woooような製品や、Bravia Phoneのようなスタイルの本気製品に作り上げれば、世界でも化けるかもしれない。折りたたみでテンキーがあった場所も液晶にして、HMDを付けると左右の液晶が別々の映像を出す3Dゴーグルになると面白いだろう。今のスマートフォンで平面の液晶をゴーグルに填めるより、こっちの方が既視感は高められるかもしれない。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0910/19/news114.html
考えて見ると、我々はいつしかスマートフォンが進化していくというスタンスに固執しすぎている。
それは、ジョブズCEOが生み出した、スマートフォンの進化(メカニカルなギミック→スレートでソフトウェアが進化する)という流れを、未だに夢見ているからだろう。
しかし、もし次を考えたとしたら、スマートフォンではない何かに切り替えた方が売れると思うかもしれない。いっそ、フィーチャーフォンをスマート化して、そっちのよい部分と、次世代のHMDなども取り込んでしまえ……となったら、折りたたみの昔の携帯に見える2画面でゴーグル付き等を標準にして売る方が得策かもしれない。
カメラがと思えば、Woooのようなスタイルを取った方が確実だ。今、その発想の転換が求められているように思う。
<Basic、Feature、Smart→どれも携帯電話>
元々、スマートフォンというのが携帯電話の全てでは無い。しかし、市場はジョブズが大々的に発表した新型スマートフォンに魅せられ、その結果、携帯電話=スマートフォンとなり、それが最先端と思うようになった。
それは当時間違いない選択だった。ただ、そのリードしていた人が、大病で亡くなってしまい、その後もスマートフォンが最先端だという人しか出てこないことで、停滞した。
そもそも、商品は普及が終われば、売れなくなる訳で、ある程度進むまでの間に、新しい次のジャンルを作る必要があるわけだ。今、スマートフォンは最先端では無く、当たり前になった。そこにあるのは、昔のワクワクではなく、昔見た誰も持つだろうワクワクの未来が、到達しマンネリになっているという現実だ。
結果的にSmart=スレートという呪縛に沈んでいる。もしも、この形を変えたとしても、きっとスマートフォンの流れは簡単には変わらないだろう。
じゃあどうするか?
簡単なのは、次のステージに進むことだ。これから、HMDが売れるならHMDに対応した新しい電話を作ればよい。
時計型の端末が売れるなら、時計型に行けばよい。
ちなみに、これはテレビなどにも言えることだが、スマートテレビが一時流行ったが、今はそういう呼ばれ方はしない。4K、8Kなどの解像度の方へと変わった。ジョブズは晩年、Siriの開発を進めていたが、一方でApple TVなどのプロジェクトも別のチームが行っていた。これらの流れにあるのは、ジョブズの描く未来は、Amazon EchoやGoogle Assistantのような置いてただ喋って聞いてだったのかと言う点だろう。
私が思うに、ジョブズCEOは、Apple TVにSiriとキャラクターを内包し、自社ディスプレイデバイス上で動作をさせるぐらいの発想があったのではないかと思っている。彼の発想は基本的に全てに共通する基盤を作り、それを最適化して育て、その合間にバリエーションを広げていくというものだ。
実は、テレビ(ディスプレイデバイス)にそれを組み込むと対話型として親しみやすい。毎日使うデバイスで自室などで使うパーソナルデバイスなら特に、使う人は多くなる。キャラクターまで出せば、子供からお年寄りまで使ってくれるだろう。ジョブズはPixerを育てた人間でもあるため、そういうところまで進んだかもしれない。
だったとしたら、自動車開発などもある程度納得がいく。簡単に言えばSFにある仮想現実キャラクターをディスプレイに表現するための、ボイスインターフェースがSiriでそれを活用するのが、Appleのその他の機器だったとしたら、結構面白い。そして、全てのデバイスには液晶画面が付く。一体型PCなどが多くなったのは、それだとすれば、SiriにキャラクターをUIを載せて、自社のディスプレイに載せると……。
なんて思う。
まあ、これは妄想であるが、今、一般の人で次代の製品を考える人は減っている。レビューをするような批評家もそうだが、次代では無く今までの延長線で、こうなるぐらいの予想が多い。
しかし、今、本当に必要なのは、スマホではない新しい携帯のスタイルを生み出すことにある。全部をスマホから置き換える必要は無い。最初は、少量でもよいから、スマホの次はこれだという携帯電話が出てくれば、徐々に変わっていくかもしれない。ただし、それはガラホのような中途半端ものであってはいけない。
やはり、ワクワクする、欲しいと新しい製品を欲する人が率先して、購入したがる魅力を持っていなければいけない。
<もし、○○だったら何を作ったか?は重要>
これは、スマホなので、ジョブズで書いているが、実は井深勝だったらどんなテレビを生み出すかでもよい。これは、今のメーカーが不甲斐ないから言っていると思う人も世間には多いだろうが、多くの場合は期待しているからこそ、そういうアイデアが世間から出てくるものだ。
世の中はもっと、理想を高く持つべきかもしれない。
http://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/45446.html
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0601/19/news016.html
Mobile Hi-Vision CAM Woooは、見るからにビデオカメラである。今、Androidベースで出したら売れないかなと思うほど、ギミックが凄い。当時は開発に携帯キャリアの開発費が潤沢に出ていたため、出来たことだが、それにしても今のように大した新機能もないのに、10万とかするスマホを見ていると、ため息が出てしまう。
当時は、機種変更でも、新規でも一括で3万~5万ぐらいで買うことが出来た。これは、販売奨励金のお陰というよりは、携帯会社が自社開発して全量買い上げだからこそ出来たのだろう。
東芝の方は4GBのHDDを内蔵している2004年の品だ。この頃、auは学生向けや、若者向けの携帯電話を続々投入させていた。そして、LISMO Musicにも対応し、BluetoothによるA2DPにも対応していた。そのため、ヘッドホンやBluetoothスピーカーをワイヤレスで使えたという特徴があった。まあ、音はお察しくださいだが……。
考えて見ると、携帯やスマートフォンで音楽を再生するのに、音質を考える時代がやってきたのは、2010年代になってからである。そもそも、雑音の多い外に出歩いて高音質を求めるという需要自体が変な話だな、という気も今となっては思うのである。まんまとメーカーに乗せられているというところだろう。
F502iは私が、買いたかった携帯電話である。i modeがカラーで使える先進的な奴だった。ただ、印象として女性向けの感じがやはりあったので、買うことは無かった代物だ。しかし、i modeが使えて、256色のSTN液晶は魅力的だった。ちなみに、3和音という和音数分かるかな?学生さんは、携帯で着メロを必死に打ち込んでいたのを思い出す。あの頃は、着メロ打ち専門の雑誌なども書店にあった。
http://www.watch.impress.co.jp/mobile/column/catchup/1999/12/09/
http://www.watch.impress.co.jp/mobile/news/1999/11/30/f502i.htm
尚、初期はSG音源(<プログラマブルまたはソフトウェアコントロールド>サウンドジェネレーター音源)、それからFM音源などが使われていた。徐々にそれがFont音源(Mobile DLSベース/MIDI音源)とPCM/ADPCMへと変わっていた。携帯電話で着うたが始まったのは、PCMが携帯に採用されたからである。
この間には、PHSという産業もあったが……それは今でも若干残っている。来年には廃止だが……。企業や病院では今でも構内携帯電話に使っているところもあるかもしれない。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/1018922/042400079/
さあ、もっと戻るとポケットベルの時代までさかのぼる。左のGoogle検索画像にあるポケベルのいくつかは、実際に使ったことがある。
これは、基本的に相手に連絡してもらうために、ポケベルに連絡頂戴といった通知をするためのものだった。相手の電話番号(ポケベル)に電話をすると、発信者通知と呼び出しが掛かるという面白いものだ。相手は、それを受けて、折り返し公衆電話や固定電話から電話をする。
最後には、学生の玩具になり町中の公衆電話に学生さんが、並んでポケベルにメッセージを送りまくるという現象も起きた。ここで生まれたのが、最初期の絵文字(海外でもemoji)でありハートマークだった。これが、後の携帯メールにおける絵文字へと繋がる。
ちなみに、送るメッセージのプッシュ番号は、NTTドコモと、テレメッセージで、一部特殊文字の仕様が異なっていたが、もうよく覚えていない。
今若い人からすれば、何が面白いのか分からないかもしれないが、スマートフォンの新製品を、見ていて思うのは、同じデザイン、同じ性能の強化、アプリケーションの拡張が殆どで、代わり映えがしなくなったなと言うことだ。
これは、WindowsやMacOSにも言えるが、何というか、もうソフト任せという時代に入っているんだなとつくづく思う。それはそれで進化として分かるが、何というか力業でやっていて、ハードとのバランスは二の次というものも多くなったように感じる。
これが結果的に、若者が商品に固執しなくなっている原因かもしれない。要は、どれも同じに見えるから、特別な一つを自分で選ぶという発想がなくなっていくのだろう。
例えば、カメラ機能、ソフトとセンサーは強化されているが、本体を薄くするという発想がそれを相殺する。レンズを増やす、カメラの場所を変えるという手法を採れば、多様性と画質の圧倒的な差が産まれることもあるというのに。カメラの数を増やすより、バラエティが広がるのだ。
今から7~8年前の製品を見ると、折りたたみの携帯電話なのに、筒型のビデオカメラになり、液晶を横に倒すとテレビとしても使え、まるで下のテンキーはキーボードのようにも見える。何とも面白ギミックが一杯だった。
10年ぐらい前になると、HDDが搭載された携帯電話で音楽が聴けるというのが、売りだった。
当時の4GB携帯電話だが、標準搭載する携帯電話のストレージとしては大きな容量だった。
何せ、携帯のストレージは数百メガバイトだった時代である。MiniSDカードで2GBオーバーがようやく安くなり始めた頃だった。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0601/19/news091.html
そうやって考えると、128GB~256GBぐらいのストレージが限界の今、1TB~2TBのストレージを搭載したスマホを登場させるようなものだ。しかも、オーディオを徹底して強化するということになる。まあ、GRANBEATの強化版だろうか?
当時は面白い製品が沢山合ったというのは簡単だが、何故人はそう思うようになったのだろうか?
それは、もしかすると固定観念を共有する社会が広まったからかもしれない。
<今、スマートフォンはスレートでスマートというイメージが進化の邪魔をする>
スマートフォンは先にキーボード(フルキーボード)付きのスライドや折りたたみが存在し、その後にスレートが出た。今更そちらに戻っても結局は、退化していると思われることが問題になる。
以前一度書いたが、スマートフォンは、賢さ=スレートでシンプル、スクリーンキーボードという流れがイメージなのだ。これが、固定概念となり崩せない。これは、ある意味では、ジョブズCEOの戦略通りであり、彼の残した呪縛(乗り越えるべき山)のようなものである。
実はこれを崩す方法は、電話ならスマホというコンセプトから目を背けることにある。
スマートの次の電話を作ることだ。実を言えば、スマートフォンはフィーチャーフォンを逆に進んだものである。
フィーチャーフォンは、ベーシックフォンで誕生した縦長のスレートデバイスに、i modeのような機能とアプリを追加していったものだ。その際に、ハードウェアギミックが増えていった。まるでトランスフォームするような製品も出たのだ。即ち複雑化の道をたどった。
しかし、スマートフォンは実は最初からキーボードをスライド格納したり、標準で搭載し、タッチペンを備えたりしてギミックを売りにしたものだった。要は、初期の製品はギミックがある程度追加された、フィーチャーフォンのOS機能をPCに寄せたものだったわけだ。即ち、ハードがある程度複雑な状況から産まれたのがスマートフォンだ。
しかし、スマートの名にふさわしい形に、OS側で昇華させたのが、iOSであり、その延長線上にあるのが今のスマートフォンだ。簡単に言えば、可変スタイル(複雑)→スレートというシンプル(単純)に変化させたのだ。だから、これ以上の進化は望めない。
これは、フィーチャーフォンがスレート→ギミックで進化をスマートに譲り終えたのと真逆の流れであり、複雑化はスマートフォンの退化と同じになるからだ。実はそこに、スマホとフィーチャーフォンの限界がある。
<スマート(賢さ)故のイメージ>
もしも、ジョブズがスマートフォンの次を想像するとしたら、Special(ize) Phoneなどの別の分野を生み出している可能性はある。またはSmart Feature Phoneかもしれない。たぶん、何らかの先進性を加えて、ハードウェアギミック付きの新しい携帯電話を、ジョブズCEOは今年発表したかもしれない。10年だし。
ちなみに、日本で売っているガラホはコンセプトも、製品の質も話にならない。これは、最初からスマートフォン優位で開発されており、スマートフォンを超える特別感(特化)がないのだ。
基本的に、スマートフォンは新世代のBasic Phoneとも言える。スレート型でF502i Hyperなどとよく似たものに戻っているからだ。だからこそ、この次に目指すべきは可変スタイルと専門性を高めることになる。
そこで重要なのは、スマートフォンじゃない新しいジャンルの携帯電話デバイスを普及させることである。そうすると、実は一番的を射ているのは、昔の携帯電話、特に日本の00年代のスタイルをスマート化するのが一番よい。
(実際にはApple Watchが、ジョブズ的にはその研究用だった可能性も否定は出来ない。)
何故やらないかというと、あくまで、スマートフォンというイメージがあり攻めにくいからだ。さらに、キャリア側との共同開発による開発コスト吸収力が失われたことも大きい。それをリードするはずだった人は、既に亡くなっている。日本のキャリアが中途半端に行っているAndroid携帯電話で、機能を制限し、ガラホなどとして売っているのもイメージの足を引っ張る。
あのコンセプトを、Woooような製品や、Bravia Phoneのようなスタイルの本気製品に作り上げれば、世界でも化けるかもしれない。折りたたみでテンキーがあった場所も液晶にして、HMDを付けると左右の液晶が別々の映像を出す3Dゴーグルになると面白いだろう。今のスマートフォンで平面の液晶をゴーグルに填めるより、こっちの方が既視感は高められるかもしれない。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0910/19/news114.html
考えて見ると、我々はいつしかスマートフォンが進化していくというスタンスに固執しすぎている。
それは、ジョブズCEOが生み出した、スマートフォンの進化(メカニカルなギミック→スレートでソフトウェアが進化する)という流れを、未だに夢見ているからだろう。
しかし、もし次を考えたとしたら、スマートフォンではない何かに切り替えた方が売れると思うかもしれない。いっそ、フィーチャーフォンをスマート化して、そっちのよい部分と、次世代のHMDなども取り込んでしまえ……となったら、折りたたみの昔の携帯に見える2画面でゴーグル付き等を標準にして売る方が得策かもしれない。
カメラがと思えば、Woooのようなスタイルを取った方が確実だ。今、その発想の転換が求められているように思う。
<Basic、Feature、Smart→どれも携帯電話>
元々、スマートフォンというのが携帯電話の全てでは無い。しかし、市場はジョブズが大々的に発表した新型スマートフォンに魅せられ、その結果、携帯電話=スマートフォンとなり、それが最先端と思うようになった。
それは当時間違いない選択だった。ただ、そのリードしていた人が、大病で亡くなってしまい、その後もスマートフォンが最先端だという人しか出てこないことで、停滞した。
そもそも、商品は普及が終われば、売れなくなる訳で、ある程度進むまでの間に、新しい次のジャンルを作る必要があるわけだ。今、スマートフォンは最先端では無く、当たり前になった。そこにあるのは、昔のワクワクではなく、昔見た誰も持つだろうワクワクの未来が、到達しマンネリになっているという現実だ。
結果的にSmart=スレートという呪縛に沈んでいる。もしも、この形を変えたとしても、きっとスマートフォンの流れは簡単には変わらないだろう。
じゃあどうするか?
簡単なのは、次のステージに進むことだ。これから、HMDが売れるならHMDに対応した新しい電話を作ればよい。
時計型の端末が売れるなら、時計型に行けばよい。
ちなみに、これはテレビなどにも言えることだが、スマートテレビが一時流行ったが、今はそういう呼ばれ方はしない。4K、8Kなどの解像度の方へと変わった。ジョブズは晩年、Siriの開発を進めていたが、一方でApple TVなどのプロジェクトも別のチームが行っていた。これらの流れにあるのは、ジョブズの描く未来は、Amazon EchoやGoogle Assistantのような置いてただ喋って聞いてだったのかと言う点だろう。
私が思うに、ジョブズCEOは、Apple TVにSiriとキャラクターを内包し、自社ディスプレイデバイス上で動作をさせるぐらいの発想があったのではないかと思っている。彼の発想は基本的に全てに共通する基盤を作り、それを最適化して育て、その合間にバリエーションを広げていくというものだ。
実は、テレビ(ディスプレイデバイス)にそれを組み込むと対話型として親しみやすい。毎日使うデバイスで自室などで使うパーソナルデバイスなら特に、使う人は多くなる。キャラクターまで出せば、子供からお年寄りまで使ってくれるだろう。ジョブズはPixerを育てた人間でもあるため、そういうところまで進んだかもしれない。
だったとしたら、自動車開発などもある程度納得がいく。簡単に言えばSFにある仮想現実キャラクターをディスプレイに表現するための、ボイスインターフェースがSiriでそれを活用するのが、Appleのその他の機器だったとしたら、結構面白い。そして、全てのデバイスには液晶画面が付く。一体型PCなどが多くなったのは、それだとすれば、SiriにキャラクターをUIを載せて、自社のディスプレイに載せると……。
なんて思う。
まあ、これは妄想であるが、今、一般の人で次代の製品を考える人は減っている。レビューをするような批評家もそうだが、次代では無く今までの延長線で、こうなるぐらいの予想が多い。
しかし、今、本当に必要なのは、スマホではない新しい携帯のスタイルを生み出すことにある。全部をスマホから置き換える必要は無い。最初は、少量でもよいから、スマホの次はこれだという携帯電話が出てくれば、徐々に変わっていくかもしれない。ただし、それはガラホのような中途半端ものであってはいけない。
やはり、ワクワクする、欲しいと新しい製品を欲する人が率先して、購入したがる魅力を持っていなければいけない。
<もし、○○だったら何を作ったか?は重要>
これは、スマホなので、ジョブズで書いているが、実は井深勝だったらどんなテレビを生み出すかでもよい。これは、今のメーカーが不甲斐ないから言っていると思う人も世間には多いだろうが、多くの場合は期待しているからこそ、そういうアイデアが世間から出てくるものだ。
世の中はもっと、理想を高く持つべきかもしれない。
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