今度はNZ沖でM7・1の地震・・・被害はなし・・・本題は東北・北海道豪雨です。
熊本地震の数ヶ月前に、NZやバヌアツなどで地震が頻発した。
そして、東日本大震災の時には、数週間前にクライストチャーチで地震があった。と考えると、NZ沖で地震というのは、日本で大きな地震が起きるかもという・・・嫌な予感がするのは素人の考えだろう。まあ何も起きないことを祈るが、1~2ヶ月後に大きな地震が日本の”どこか”で起きる可能性も決してないとは言えないので、注意しておくのも大事かも知れない。
最近は、災害が多いので用心するに越したことはない。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20160902-OYT1T50031.html?from=ytop_main3
さて文書のようなタイトルにした東北・北海道の豪雨被害の話である。
東北では、未だに孤立している集落や世帯がいくつもあるようで、行方不明者も増えたり減ったりを繰り返す。行方不明なのかそうでないのかも、分からない人もまだいる可能性があるというほど、甚大な被害となったようだ。
その一方で防災計画不足など、官公庁の対応問題を指摘する声も見られるが、震災から5年半という中で、ちょうど防災計画もあの頃に策定されはじめていたようだから・・・なかなか予算や、人材なども考えると、この災害を見越した対応は、難しかったのかもしれない。
実際に、一部では河川改修予算を計上していたようだが、間に合わなかったことが判明している。この台風が2年遅ければ、もしかすると結果が違ったのかも知れない。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090200057&g=soc
災害の後に他の災害が来ないという法則はないことを、今年も神様が示したということかもしれない。さらに、西日本は地震が少ない。東北や北海道は雨が少なく台風被害は少ないというこれまでの法則が通じないことを改めて示しているのが、今年の災害かも知れない。
昨年は、川の氾濫は、大きく、ある程度管理されている川でも起こりえることを、常総市で示し、一昨年には火山噴火は予測できないということ、広島など都市部でも土砂災害が起きることなどを示した。
既に、毎年想定を超える災害、ハザードマップがあっても、それを周知しておらず大丈夫と見越して、巻き込まれる災害が増えている。そして、今年は春の熊本地震、夏の東北・北海道豪雨という天災・・・これに、西日本の猛暑による熱中症死亡者なども合わせると、今年は一つの災害に留まらず大変な年であり、まだ9月ということを考えると、これからがもっと心配になる。
<被害額が未だ不明な豪雨被害>
台風10号から数日経過した今日の時点でも、未だに農産物被害、住宅、道路被害の総額は、予測も付いていないという。北海道で、水に浸かった地域はいったいどれだけあるのか?東北で土砂に埋もれた場所はどれだけあるのか?そして、そこにどれだけの作物があったのか?
今荒れた地域の画像をみても、ここは元々河原だったのではないか?耕作放棄の田んぼや、沼地だったのではないかという場所が無数にあるようだ。
それに加えて、東北では橋の崩落が相次いだことで、物資が届かない、調査員もたどり着くのに時間が掛かる場所が山ほどあるとされる。ようやく、今日辺りから順次物資が届けられる・・・という地域も多い。
一方で、北海道は死者は少ないが、平野が多い分、農産物被害と宅地被害が凄まじく広いことが、明らかになってきている。まるで、北米で起きる洪水被害のように、とにかく広く被害が分布しているのだ。結果的に、野菜の被害総額が、未だに概算でも把握が困難というレベル。農地の再整備コストなど収量ベースでの換算が出来ない時点で、示すこともままならない
即ち、一体いくら予算を計上すれば、元通りとは言わなくても、生活を以前の水準に近づけられるかが、分からないということだ。普通は、災害後2日もあれば、どこかのシンクタンクや地方行政府が大まかな見込みを示すだろう。今回は、台風だけで4個近づいた(3個は上陸)ことで、当初は被害額がすぐに出せたが、度重なる被害でその見通しが再びリセットされ、見えなくなったと思われる。
<復興出来ない地域も生まれかねない・・・本来大事な中山間部>
これから、復興ということになるが、被害場所が分散し、東北では山合且つ道路が多く壊れていることで、ボランティアを集めるのも難しいであろう地域がある。そのため、早期復興が出来ず、この被害によって一部村落が消えていく可能性もあるだろう。中山間部が消えれば、洪水などは下(しも)で起きやすくなるとされる。
これは、山の管理が行われなくなり、今回も橋に流木が溜まり溢れた地点があったように、狭い範囲で痩せた木が密集し、そこが崩れやすくなるからだ。要は、根の浅い木が増える事で、保水力を山が失うのだ。人が木を植えて育てた山間地域は、人がいなくなると災害に弱くなり脆い。
だから、人がある程度手を入れることが求められる。しかし、高齢化で人もいなくなる。下草でさえも刈ることがなくなれば、人の育てた林野は、急速に緑に覆われる一方で、根は痩せる。いわゆる、広葉樹や針葉樹、常緑樹などいろいろな植生がある原生林ではなく、人の商業や経済のために植えた一種の木が茂る森は、雑草にも弱く、隣の木々とも光を奪い人が手入れしなければ弱くなる。
本来は、弱い木を切り落としたり、下草をある程度刈って、腐葉土を育む必要があるが・・・。
今回のこの、岩手を中心とした災害は、これらの中山間地域をさらに疲弊させるだろう。
-都市部の人も知るべき現実-
都市部に生活する人の中には、次のような話をする人がいる。合理化のためには、都会に人々を移してしまうべきだと。しかし、都会の暮らしを守っているのは、山間で木々の管理や、食べ物を作ってくれている人がいて、それらが森を間伐し、守ってくれているからこそでもある。今では、それも過疎化、高齢化でそれもままならなくなっているが、災害が増えれば、それがさらに加速する。
嫌なスパイラルである。今回は、生活道路の寸断が多数起きて未だに孤立した地域が多くあることで、状況は悪化している。東北で被害に遭われた地域は、かなり窮地かもしれない。一刻も早く、まず生活道路が復旧し、今までに近い生活が出来るようになることを祈っている。
<西日本は台風が接近中>
西日本で今心配なのは、西日本に近づく台風12号かもしれない。我が家もこのままなら台風予報円の中心付近にぶつかるが・・・。大きな災害になり、それに巻き込まれないようにしなければいけない。
こういう時に個人的に役立つのは、スマホのワンセグやラジオ機能と言われる。防災ラジオやテレビより身につけていることが多いので、災害時に、自分の欲しい情報だけでなく、全体の情報を掴むのには役立つのだ。今や、AndroidにおいてiPhoneに対する唯一に近いアドバンテージである。しかも、通信環境を必要とせず、テレビやラジオ波受信のみで動くので、バッテリ消費も少ないのだ。通信回線と違って、テレビラジオ放送の送信アンテナは、受信エリアなら最短で回復する例え、周囲の電柱がなぎ倒されていても回復は早い。(特に避難所がある場所は早急に行われる)
災害が増加しているので、こういう目線でスマホを選ぶのも良いかもしれない・・・
<災害で一人でも助かるためには・・・>
・今居る場所を知る
災害から身を守るのに最も大事なのは、自分の家や地域が、どういう災害リスクを持っているかを予め理解しておくことだ。いわゆる場所の危険性を知って備えることである。都会では、結構これをしない人が多い。
山間部なら、土砂災害、または沢の氾濫。平野部なら浸水や竜巻、突風。小川や下水の逆流や氾濫もあるだろう。埋め立て地なら、地震などで液状化や埋没配管の隆起、地面の陥没などもあり得る。
・全体の情報を把握して予測する
実際に災害が起きそうなときに、全体の情報を如何に多く入手するかということである。
ちなみに、Twitterでピンポイントも助かるチャンスに繋がるが・・・そもそも、それは都会だから出来ることであろう。また、Twitterに書いてくれる人は、お人好しだが本当に危機迫る災害では、それをしている間に、亡くなるだろう。津波被害では、こういう写真や動画を撮りにいった人は多かった。
そうでなくても、自分の今居る場所の上で土石流が起きているのに、目の前の状況を必死で検索していたら・・・巻き込まれるかもしれない。基本的に、大規模災害時には、広い範囲の現状から、自分が住む狭い範囲を自分で予測するという方が重要である。豪雨なら、強い雨雲がこちらに向かってくる様子から、今後も雨が降る、だから今すぐ避難しようといった具合だ。ネットでの検索を使うなら、気象や災害情報サイトやアプリなどを利用するのが良いだろう。
・避難中は、警報等が解除されるまで、忘れ物などで自宅に戻らない。周りも絶対に戻させない。
3つ目は一度避難すると決めた後に、家に忘れ物等を理由に戻らない。(今回もそれで亡くなった方がいた)
これは、一人が忘れ物をしたと戻りたがっても、家族も決して戻ることを容認しない。戻るなら幼い子が居ようが、何が居ようが、全員の同意の下でみんなで戻ることだ。多くの人は、それなら避難を選ぶだろう。そもそも、この判断は、家族を巻き込めば助けられないと思う人が自分は主役だから死なないと思い込んで行う行動である。特に、避難ルートが思ったより安全に見えたときや、過去に同じ行動をして、問題が無かったときにこういう行動を取ることが多い。
その際に、脇役の家族が死ぬリスクを考えてしまい自分一人や数人が自己犠牲の精神を払うのだ。いわゆる避難時の精神的高揚がこの判断ミスを生むのだ。そして、家族もその高揚に飲まれやすい。
しかし、既に私一人で戻ると行った段階や、私たち二人でといった段階で、戻れば家族の人数分の1以上の確率で、死ぬか大けがをすると見ている訳で、だからみんなでは戻れないのだ。
みんなが、同意できるなら、一人一人が自分を守れると思っている訳だから、戻る意味はあるだろうが、そうでなければ戻してはいけないし、戻ってはいけない。
・災害発生中に経済的損失を心配せず、自分や家族の命を優先する。
いのちだいじにである。これは、田んぼや畑、自宅家財を見に行って災害に巻き込まれたら、その大事な家財や田んぼ畑は、あなたに何も残さないということだ。場合によっては、家族にも良い形では残らないかも知れない。その地を守る管理者がいなくなるか、減る可能性があるからだ。
即ち、生きていれば荒れた田畑や家を家族みんなで復興できても、死んだら田畑を耕すことも、家を片付けることも出来ないか、その人間の数が減るのだ。即ち、自分がリスクを冒して見に行って、いなくなれば、一部または全部が荒廃する可能性があるのだ。
だから、災害の危険が迫っているときに、自分や家族の経済的損失を予測してはいけない。大事なのは、今を生き延びることだ。
・遠くの友人や家族より自分や近くの隣人を守る。
最後に、遠くのAさんを心配して駆け出さないことだ。例えば、お隣のBさんが埋もれた。家族が流されたという場合は、状況を見て何とかしようとするのは仕方が無い。それが、見えているのだから。
これは運を天に任せて、その人が命を張ってでも、助けたいと思うかどうかの話である。しかし、例えば親族のAさん宅が、数キロ先の災害危険区域にあり、連絡が取れない時、災害の危険が収まらない時に、そこに向かってはいけない。これも、実際に今回も流された人がいたようだ。
何故これがいけないかというと、先が見えないからだ。その人が逃げている可能性もあるし、近所の人が助けてくれる可能性もあるだろうが、もし埋まっていたとしても、一人で助けられる保障はない。むしろ、埋まっていたり、流されていた場合、自分が二次被害にあって無駄に命を落とす可能性もある。
基本的には、自分の子や孫など、未成年で判断が出来ない人や自分より先があり若い人を守りたいと思うなら、止められないところはあるが、基本的にはことが収まるまでは、安全な場所に留まることだ。もし、助けに行った途中で自分が死んで、Aさんに被害がなければ・・・Aさんはどう思うだろうか、家族はどう思うだろうか?考えて欲しい。
今や、災害はいつでもどこでも起こりえるが、災害が迫っている時に一番怖いのは、自分は何故か大丈夫だと思う事だ。これまでの経験や、なんとなく大丈夫っぽい雰囲気で考えることである。これは、年齢が高くなるほど誤認しやすい。
今回も多くの犠牲者が出ており、未だに安否不明者が10人以上(2016年9月2日11時現在)いるという。メディアなどでもよく言われるが、これまでに経験が無いとか、大きな規模とか、急成長していると報道されているときには、少なくともこれまで、誰もがその場で経験した以上の状況がやってくることを示している。
即ち、経験則は通用しないのだ。よって、絶対に自分の守れる命以外に目を向けてはいけない。それ以上、高望みをすると、自分が犠牲になり、家族が悲しむこともあることを忘れないで欲しい。
そして、東日本大震災の時には、数週間前にクライストチャーチで地震があった。と考えると、NZ沖で地震というのは、日本で大きな地震が起きるかもという・・・嫌な予感がするのは素人の考えだろう。まあ何も起きないことを祈るが、1~2ヶ月後に大きな地震が日本の”どこか”で起きる可能性も決してないとは言えないので、注意しておくのも大事かも知れない。
最近は、災害が多いので用心するに越したことはない。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20160902-OYT1T50031.html?from=ytop_main3
さて文書のようなタイトルにした東北・北海道の豪雨被害の話である。
東北では、未だに孤立している集落や世帯がいくつもあるようで、行方不明者も増えたり減ったりを繰り返す。行方不明なのかそうでないのかも、分からない人もまだいる可能性があるというほど、甚大な被害となったようだ。
その一方で防災計画不足など、官公庁の対応問題を指摘する声も見られるが、震災から5年半という中で、ちょうど防災計画もあの頃に策定されはじめていたようだから・・・なかなか予算や、人材なども考えると、この災害を見越した対応は、難しかったのかもしれない。
実際に、一部では河川改修予算を計上していたようだが、間に合わなかったことが判明している。この台風が2年遅ければ、もしかすると結果が違ったのかも知れない。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090200057&g=soc
災害の後に他の災害が来ないという法則はないことを、今年も神様が示したということかもしれない。さらに、西日本は地震が少ない。東北や北海道は雨が少なく台風被害は少ないというこれまでの法則が通じないことを改めて示しているのが、今年の災害かも知れない。
昨年は、川の氾濫は、大きく、ある程度管理されている川でも起こりえることを、常総市で示し、一昨年には火山噴火は予測できないということ、広島など都市部でも土砂災害が起きることなどを示した。
既に、毎年想定を超える災害、ハザードマップがあっても、それを周知しておらず大丈夫と見越して、巻き込まれる災害が増えている。そして、今年は春の熊本地震、夏の東北・北海道豪雨という天災・・・これに、西日本の猛暑による熱中症死亡者なども合わせると、今年は一つの災害に留まらず大変な年であり、まだ9月ということを考えると、これからがもっと心配になる。
<被害額が未だ不明な豪雨被害>
台風10号から数日経過した今日の時点でも、未だに農産物被害、住宅、道路被害の総額は、予測も付いていないという。北海道で、水に浸かった地域はいったいどれだけあるのか?東北で土砂に埋もれた場所はどれだけあるのか?そして、そこにどれだけの作物があったのか?
今荒れた地域の画像をみても、ここは元々河原だったのではないか?耕作放棄の田んぼや、沼地だったのではないかという場所が無数にあるようだ。
それに加えて、東北では橋の崩落が相次いだことで、物資が届かない、調査員もたどり着くのに時間が掛かる場所が山ほどあるとされる。ようやく、今日辺りから順次物資が届けられる・・・という地域も多い。
一方で、北海道は死者は少ないが、平野が多い分、農産物被害と宅地被害が凄まじく広いことが、明らかになってきている。まるで、北米で起きる洪水被害のように、とにかく広く被害が分布しているのだ。結果的に、野菜の被害総額が、未だに概算でも把握が困難というレベル。農地の再整備コストなど収量ベースでの換算が出来ない時点で、示すこともままならない
即ち、一体いくら予算を計上すれば、元通りとは言わなくても、生活を以前の水準に近づけられるかが、分からないということだ。普通は、災害後2日もあれば、どこかのシンクタンクや地方行政府が大まかな見込みを示すだろう。今回は、台風だけで4個近づいた(3個は上陸)ことで、当初は被害額がすぐに出せたが、度重なる被害でその見通しが再びリセットされ、見えなくなったと思われる。
<復興出来ない地域も生まれかねない・・・本来大事な中山間部>
これから、復興ということになるが、被害場所が分散し、東北では山合且つ道路が多く壊れていることで、ボランティアを集めるのも難しいであろう地域がある。そのため、早期復興が出来ず、この被害によって一部村落が消えていく可能性もあるだろう。中山間部が消えれば、洪水などは下(しも)で起きやすくなるとされる。
これは、山の管理が行われなくなり、今回も橋に流木が溜まり溢れた地点があったように、狭い範囲で痩せた木が密集し、そこが崩れやすくなるからだ。要は、根の浅い木が増える事で、保水力を山が失うのだ。人が木を植えて育てた山間地域は、人がいなくなると災害に弱くなり脆い。
だから、人がある程度手を入れることが求められる。しかし、高齢化で人もいなくなる。下草でさえも刈ることがなくなれば、人の育てた林野は、急速に緑に覆われる一方で、根は痩せる。いわゆる、広葉樹や針葉樹、常緑樹などいろいろな植生がある原生林ではなく、人の商業や経済のために植えた一種の木が茂る森は、雑草にも弱く、隣の木々とも光を奪い人が手入れしなければ弱くなる。
本来は、弱い木を切り落としたり、下草をある程度刈って、腐葉土を育む必要があるが・・・。
今回のこの、岩手を中心とした災害は、これらの中山間地域をさらに疲弊させるだろう。
-都市部の人も知るべき現実-
都市部に生活する人の中には、次のような話をする人がいる。合理化のためには、都会に人々を移してしまうべきだと。しかし、都会の暮らしを守っているのは、山間で木々の管理や、食べ物を作ってくれている人がいて、それらが森を間伐し、守ってくれているからこそでもある。今では、それも過疎化、高齢化でそれもままならなくなっているが、災害が増えれば、それがさらに加速する。
嫌なスパイラルである。今回は、生活道路の寸断が多数起きて未だに孤立した地域が多くあることで、状況は悪化している。東北で被害に遭われた地域は、かなり窮地かもしれない。一刻も早く、まず生活道路が復旧し、今までに近い生活が出来るようになることを祈っている。
<西日本は台風が接近中>
西日本で今心配なのは、西日本に近づく台風12号かもしれない。我が家もこのままなら台風予報円の中心付近にぶつかるが・・・。大きな災害になり、それに巻き込まれないようにしなければいけない。
こういう時に個人的に役立つのは、スマホのワンセグやラジオ機能と言われる。防災ラジオやテレビより身につけていることが多いので、災害時に、自分の欲しい情報だけでなく、全体の情報を掴むのには役立つのだ。今や、AndroidにおいてiPhoneに対する唯一に近いアドバンテージである。しかも、通信環境を必要とせず、テレビやラジオ波受信のみで動くので、バッテリ消費も少ないのだ。通信回線と違って、テレビラジオ放送の送信アンテナは、受信エリアなら最短で回復する例え、周囲の電柱がなぎ倒されていても回復は早い。(特に避難所がある場所は早急に行われる)
災害が増加しているので、こういう目線でスマホを選ぶのも良いかもしれない・・・
<災害で一人でも助かるためには・・・>
・今居る場所を知る
災害から身を守るのに最も大事なのは、自分の家や地域が、どういう災害リスクを持っているかを予め理解しておくことだ。いわゆる場所の危険性を知って備えることである。都会では、結構これをしない人が多い。
山間部なら、土砂災害、または沢の氾濫。平野部なら浸水や竜巻、突風。小川や下水の逆流や氾濫もあるだろう。埋め立て地なら、地震などで液状化や埋没配管の隆起、地面の陥没などもあり得る。
・全体の情報を把握して予測する
実際に災害が起きそうなときに、全体の情報を如何に多く入手するかということである。
ちなみに、Twitterでピンポイントも助かるチャンスに繋がるが・・・そもそも、それは都会だから出来ることであろう。また、Twitterに書いてくれる人は、お人好しだが本当に危機迫る災害では、それをしている間に、亡くなるだろう。津波被害では、こういう写真や動画を撮りにいった人は多かった。
そうでなくても、自分の今居る場所の上で土石流が起きているのに、目の前の状況を必死で検索していたら・・・巻き込まれるかもしれない。基本的に、大規模災害時には、広い範囲の現状から、自分が住む狭い範囲を自分で予測するという方が重要である。豪雨なら、強い雨雲がこちらに向かってくる様子から、今後も雨が降る、だから今すぐ避難しようといった具合だ。ネットでの検索を使うなら、気象や災害情報サイトやアプリなどを利用するのが良いだろう。
・避難中は、警報等が解除されるまで、忘れ物などで自宅に戻らない。周りも絶対に戻させない。
3つ目は一度避難すると決めた後に、家に忘れ物等を理由に戻らない。(今回もそれで亡くなった方がいた)
これは、一人が忘れ物をしたと戻りたがっても、家族も決して戻ることを容認しない。戻るなら幼い子が居ようが、何が居ようが、全員の同意の下でみんなで戻ることだ。多くの人は、それなら避難を選ぶだろう。そもそも、この判断は、家族を巻き込めば助けられないと思う人が自分は主役だから死なないと思い込んで行う行動である。特に、避難ルートが思ったより安全に見えたときや、過去に同じ行動をして、問題が無かったときにこういう行動を取ることが多い。
その際に、脇役の家族が死ぬリスクを考えてしまい自分一人や数人が自己犠牲の精神を払うのだ。いわゆる避難時の精神的高揚がこの判断ミスを生むのだ。そして、家族もその高揚に飲まれやすい。
しかし、既に私一人で戻ると行った段階や、私たち二人でといった段階で、戻れば家族の人数分の1以上の確率で、死ぬか大けがをすると見ている訳で、だからみんなでは戻れないのだ。
みんなが、同意できるなら、一人一人が自分を守れると思っている訳だから、戻る意味はあるだろうが、そうでなければ戻してはいけないし、戻ってはいけない。
・災害発生中に経済的損失を心配せず、自分や家族の命を優先する。
いのちだいじにである。これは、田んぼや畑、自宅家財を見に行って災害に巻き込まれたら、その大事な家財や田んぼ畑は、あなたに何も残さないということだ。場合によっては、家族にも良い形では残らないかも知れない。その地を守る管理者がいなくなるか、減る可能性があるからだ。
即ち、生きていれば荒れた田畑や家を家族みんなで復興できても、死んだら田畑を耕すことも、家を片付けることも出来ないか、その人間の数が減るのだ。即ち、自分がリスクを冒して見に行って、いなくなれば、一部または全部が荒廃する可能性があるのだ。
だから、災害の危険が迫っているときに、自分や家族の経済的損失を予測してはいけない。大事なのは、今を生き延びることだ。
・遠くの友人や家族より自分や近くの隣人を守る。
最後に、遠くのAさんを心配して駆け出さないことだ。例えば、お隣のBさんが埋もれた。家族が流されたという場合は、状況を見て何とかしようとするのは仕方が無い。それが、見えているのだから。
これは運を天に任せて、その人が命を張ってでも、助けたいと思うかどうかの話である。しかし、例えば親族のAさん宅が、数キロ先の災害危険区域にあり、連絡が取れない時、災害の危険が収まらない時に、そこに向かってはいけない。これも、実際に今回も流された人がいたようだ。
何故これがいけないかというと、先が見えないからだ。その人が逃げている可能性もあるし、近所の人が助けてくれる可能性もあるだろうが、もし埋まっていたとしても、一人で助けられる保障はない。むしろ、埋まっていたり、流されていた場合、自分が二次被害にあって無駄に命を落とす可能性もある。
基本的には、自分の子や孫など、未成年で判断が出来ない人や自分より先があり若い人を守りたいと思うなら、止められないところはあるが、基本的にはことが収まるまでは、安全な場所に留まることだ。もし、助けに行った途中で自分が死んで、Aさんに被害がなければ・・・Aさんはどう思うだろうか、家族はどう思うだろうか?考えて欲しい。
今や、災害はいつでもどこでも起こりえるが、災害が迫っている時に一番怖いのは、自分は何故か大丈夫だと思う事だ。これまでの経験や、なんとなく大丈夫っぽい雰囲気で考えることである。これは、年齢が高くなるほど誤認しやすい。
今回も多くの犠牲者が出ており、未だに安否不明者が10人以上(2016年9月2日11時現在)いるという。メディアなどでもよく言われるが、これまでに経験が無いとか、大きな規模とか、急成長していると報道されているときには、少なくともこれまで、誰もがその場で経験した以上の状況がやってくることを示している。
即ち、経験則は通用しないのだ。よって、絶対に自分の守れる命以外に目を向けてはいけない。それ以上、高望みをすると、自分が犠牲になり、家族が悲しむこともあることを忘れないで欲しい。
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