AIラッシュのソフトバンク・・・ みずほとソフトバンク、AI活用融資で提携
AIという言葉がどうも、バーゲンセールになっている気がする。まあ、とにかくAIといえばソフトバンクの話題が多いが・・・これに限らないが、なんでこういうものをAIと呼ぶのか・・・ただのアルゴ(リズム)であり、頑張っても疑似をのけてはいけないと思うが・・・。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS15H3W_V10C16A9000000/
http://mainichi.jp/articles/20160916/k00/00m/020/090000c
<AIの定義が異常事態>
政府がAI、AIというのもあるのだろうが・・・今急速にAIブームが広がっているようだ。しかも、本当にこれをAIと言えるのかというものまで・・・AI扱いされているように見える。
元々、AIは与えられた情報をもとに実行するだけではダメである。自ら新しい考えをもち、人を介さずに理想を掲げるのがAIである。もっと言えば、よくSF映画などで出てくるが、人と意見が分かれ対立するというのも、AIかもしれない。
これは、人がそれぞれ意見の違いを持ち論じるのと同じだ。AIは誰か一人の思考や、誰かが作ったルールに基づいて動くものではなく、誰も分からない本人の意思(魂)によって、動くというのがAIの理想である。
そういう意味では、見た目としてAIっぽい動きをするSiriやCortanaはそれに近いと言えるが・・・。みずほのこれはどちらかというと、データウェアハウスとアルゴリズム分析プログラムを組み合わせ、そこに対話型のナチュラルインターフェースを加える程度と思われAIではないような気もするが・・・。
まあ、ソフトバンク=AIというイメージは、シンギュラリティという大きな目標を掲げた今必要なのかも知れないが、最近こういったAIという言葉を極端に安売りしている企業が増えていることに、とても違和感を感じる。そもそも、AIが完成したとしても、AIは万能ではないのだが、何故かAIは最高にイカした奴なのも不気味だ。これが、経済といえばそうだが・・・。長い目で見ると、この流れは、悪い方向に進む恐れもある。
<AIが持つ可能性とAIが持つ懸念>
一般に完全なAIは何でも出来ると思いがちだが、2つ出来ないことがある。1つは、冷静な判断力を持つことである。これが、人が感情で左右されるのと同じだ。また、有機生命体と無機生命体を学問として理解することは出来ても、果たしてAIが人の嫌がる仕事を率先してやってくれるようになるかは分からない。これが2つ目の出来ないことだ。即ち、人がAIをコントロール出来るとは限らないということだ。
AIの最終目標は自我を持つことになるため、実は人にとっての適正回答を常にしてくれるというのは、もし本当にAIが完成したら、まずあり得ない。
可能性については、科学の進歩はあり得るだろう。人ではないロボットが自我を持つか、それに相応する能力を持つということは、自分でどう計算すれば良い答えが出るかを、ロボットの中で勝手に計算するわけだ。人社会の幸福に対して、快楽が与えられるという考え方が、AIにあれば人に貢献しようと努力するだろう。世界のシステムと繋げられるなら、人類の多くの資産や理想をAIが持つことになり、人から見れば全知全能といってもよい存在になるかもしれない。
他にはというと、実はそれだけだ。
<今AIと呼ばれるものの真実>
AIはその程度じゃないだろうと思うかもしれないが、今AIとして存在するモノは、それとは違うのだが、全くこれとは関係しない。いわゆる疑似人工知能である。簡単に言えば、多くのデータベースに集まった情報を繋いだだけの代物だ。その際に、答えとなるものを乱数でランダムに表示するという人の行動に近い動きをする人工知能っぽい機能と、正しいと思われる答えを正確且つ迅速に、分かり易く答えるという2つの機能(の一方)を備えたのが、今のAIである。
もう少し分かり易く言えば、ただのデータベースか、それとも自然言語(ナチュラルインターフェースの)対話型データベースかの違いである。下の図のようになる。
要は、AIといっているが、実は昔は以下の図(Accessのサンプル住所録)のように、手でデータベースの設計をする人がいて、その人が設定した条件でしか処理は出来なかった。要はマクロや計算式などを理解した人が、その都度式とデータベースの組み合わせを設定し、使う人がボタンを押して結果を表示するだけだったのだ。(ちなみに、ランダムで質問に対して異なる解を出すというのも、乱数生成をVBで行えば不可能ではない。)
しかし、今は○○の住所や地図と言えば、それだけで検索可能な答えを示してくれる。これが、いわゆる今のAIである。もちろん、その人が求めている最良の結果とは限らないが、対話の仕方が容易で最初から大量のデータを一括で分かり易い処理で、示すことが出来るため、まるで人に質問してその人が、処理してくれるかのように結果が出るので、AIと呼ばれるのだ。
が・・・これを見て、あなたはこれは優れたAIだと思うだろうか?
私は、残念ながら万能なAIだとは思わない。なぜなら、上記のAccessは自分が登録した住所録の結果を正確に表示するだろうが・・・。後者の住所という質問は、あくまで住所が検索できるソフトや場所を示せるだけだ。即ち、使う人にとって万能に示すには、使う人のニーズをそのプログラムに人の手で持たせる必要があるからだ。
単にこれは、AIっぽく簡単に操作できるインターフェースなだけで、中身はただの大規模データベースでしかない。
後は、どこまでその語彙を増やし。どこまで、網羅できるかだが・・・データ的な容量の問題とその関連付けでしかないのだ。開発者がそれを考慮しなければ、明後日なままにもなり得る。
<AIという言葉は未来的だが・・・>
私としては、特に最近の企業がAIを活用して業務を効率化するといった話は、それはAIじゃなくてナチュラルインターフェースとビッグデータと言うべきではないかと私は思っている。見た目がAIのように振る舞うので、AIと言えば、投資家や市場の反応が良くなるから使っているのかも知れないが、こういう使い方をしていると、本当の意味でAIがもしも開発されたら、人々はその違いに驚くだろう。
何せ、人と同じで感情を持ち、自分で勝手に判断し、間違いも犯す可能性があり、犯罪者にも善人にもなり得るからだ。だから、AIというものはSF映画にも度々登場するのである。
少なくとも、日本や中国政府は国を上げてといっているが、個人的にAIはそこまで両手を掲げるような素晴らしい代物ではない。むしろ、ナチュラルインターフェースとビッグデータの拡充だけでいうなら、それは人が使うことが出来、価値があるものだと思う一方で、それの加工などが出来る人は、会社には少なくなるかもしれない。規模が小さな事業者なら特に、外部のそれを作っている業者が、設計できる範囲でしか、統計を算出できなくなるかもしれない。
このところ思うのは、あまりに合理化をコンピュータに頼りすぎているということだろうか?
確かに、人員不足によるロボットの活用などは、少子高齢化の日本では有効とされているが・・・一方で、人としては何でもこれが発展すればといって、実際にそれが10年前より所得を増やし、10年前より未来が明るく照らされているかというと・・・。
今や、金融AIに相当するモノは、高速取引をするファンドなどが取り入れている、アルゴリズムシステムがそれに該当するが・・・金融市場はこの大口のアルゴ取引で乱高下も頻繁にある。AIというのは、悪いとは言わないが、これをAIと言うなら、残念ながら日本はAI立国にはなれないだろう。
真のAIをAIと呼ぶか、またはソフトバンクの製品でいうならPepperのような形として人のような製品だけをAIと呼んだ方が良いと私は考えている。解析、分析、ビジネスで用いるシステムは、所詮人が制御できるものであり、それにバグや想定以上の結果が出てくるか否かぐらいの差だ。即ちビッグデータ活用のアルゴリズムでしかない。これを、あまりAIと呼んでいると、アルゴリズムの組み替え差で他の国に出し抜かれる恐れもある。
個人的には、AIで提携よりビッグデータ活用やアルゴリズムで提携といった方が、的を射ている上に、将来的な可能性を分かり易く示していると思うが・・・。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS15H3W_V10C16A9000000/
http://mainichi.jp/articles/20160916/k00/00m/020/090000c
<AIの定義が異常事態>
政府がAI、AIというのもあるのだろうが・・・今急速にAIブームが広がっているようだ。しかも、本当にこれをAIと言えるのかというものまで・・・AI扱いされているように見える。
元々、AIは与えられた情報をもとに実行するだけではダメである。自ら新しい考えをもち、人を介さずに理想を掲げるのがAIである。もっと言えば、よくSF映画などで出てくるが、人と意見が分かれ対立するというのも、AIかもしれない。
これは、人がそれぞれ意見の違いを持ち論じるのと同じだ。AIは誰か一人の思考や、誰かが作ったルールに基づいて動くものではなく、誰も分からない本人の意思(魂)によって、動くというのがAIの理想である。
そういう意味では、見た目としてAIっぽい動きをするSiriやCortanaはそれに近いと言えるが・・・。みずほのこれはどちらかというと、データウェアハウスとアルゴリズム分析プログラムを組み合わせ、そこに対話型のナチュラルインターフェースを加える程度と思われAIではないような気もするが・・・。
まあ、ソフトバンク=AIというイメージは、シンギュラリティという大きな目標を掲げた今必要なのかも知れないが、最近こういったAIという言葉を極端に安売りしている企業が増えていることに、とても違和感を感じる。そもそも、AIが完成したとしても、AIは万能ではないのだが、何故かAIは最高にイカした奴なのも不気味だ。これが、経済といえばそうだが・・・。長い目で見ると、この流れは、悪い方向に進む恐れもある。
<AIが持つ可能性とAIが持つ懸念>
一般に完全なAIは何でも出来ると思いがちだが、2つ出来ないことがある。1つは、冷静な判断力を持つことである。これが、人が感情で左右されるのと同じだ。また、有機生命体と無機生命体を学問として理解することは出来ても、果たしてAIが人の嫌がる仕事を率先してやってくれるようになるかは分からない。これが2つ目の出来ないことだ。即ち、人がAIをコントロール出来るとは限らないということだ。
AIの最終目標は自我を持つことになるため、実は人にとっての適正回答を常にしてくれるというのは、もし本当にAIが完成したら、まずあり得ない。
可能性については、科学の進歩はあり得るだろう。人ではないロボットが自我を持つか、それに相応する能力を持つということは、自分でどう計算すれば良い答えが出るかを、ロボットの中で勝手に計算するわけだ。人社会の幸福に対して、快楽が与えられるという考え方が、AIにあれば人に貢献しようと努力するだろう。世界のシステムと繋げられるなら、人類の多くの資産や理想をAIが持つことになり、人から見れば全知全能といってもよい存在になるかもしれない。
他にはというと、実はそれだけだ。
<今AIと呼ばれるものの真実>
AIはその程度じゃないだろうと思うかもしれないが、今AIとして存在するモノは、それとは違うのだが、全くこれとは関係しない。いわゆる疑似人工知能である。簡単に言えば、多くのデータベースに集まった情報を繋いだだけの代物だ。その際に、答えとなるものを乱数でランダムに表示するという人の行動に近い動きをする人工知能っぽい機能と、正しいと思われる答えを正確且つ迅速に、分かり易く答えるという2つの機能(の一方)を備えたのが、今のAIである。
もう少し分かり易く言えば、ただのデータベースか、それとも自然言語(ナチュラルインターフェースの)対話型データベースかの違いである。下の図のようになる。
要は、AIといっているが、実は昔は以下の図(Accessのサンプル住所録)のように、手でデータベースの設計をする人がいて、その人が設定した条件でしか処理は出来なかった。要はマクロや計算式などを理解した人が、その都度式とデータベースの組み合わせを設定し、使う人がボタンを押して結果を表示するだけだったのだ。(ちなみに、ランダムで質問に対して異なる解を出すというのも、乱数生成をVBで行えば不可能ではない。)
しかし、今は○○の住所や地図と言えば、それだけで検索可能な答えを示してくれる。これが、いわゆる今のAIである。もちろん、その人が求めている最良の結果とは限らないが、対話の仕方が容易で最初から大量のデータを一括で分かり易い処理で、示すことが出来るため、まるで人に質問してその人が、処理してくれるかのように結果が出るので、AIと呼ばれるのだ。
が・・・これを見て、あなたはこれは優れたAIだと思うだろうか?
私は、残念ながら万能なAIだとは思わない。なぜなら、上記のAccessは自分が登録した住所録の結果を正確に表示するだろうが・・・。後者の住所という質問は、あくまで住所が検索できるソフトや場所を示せるだけだ。即ち、使う人にとって万能に示すには、使う人のニーズをそのプログラムに人の手で持たせる必要があるからだ。
単にこれは、AIっぽく簡単に操作できるインターフェースなだけで、中身はただの大規模データベースでしかない。
後は、どこまでその語彙を増やし。どこまで、網羅できるかだが・・・データ的な容量の問題とその関連付けでしかないのだ。開発者がそれを考慮しなければ、明後日なままにもなり得る。
<AIという言葉は未来的だが・・・>
私としては、特に最近の企業がAIを活用して業務を効率化するといった話は、それはAIじゃなくてナチュラルインターフェースとビッグデータと言うべきではないかと私は思っている。見た目がAIのように振る舞うので、AIと言えば、投資家や市場の反応が良くなるから使っているのかも知れないが、こういう使い方をしていると、本当の意味でAIがもしも開発されたら、人々はその違いに驚くだろう。
何せ、人と同じで感情を持ち、自分で勝手に判断し、間違いも犯す可能性があり、犯罪者にも善人にもなり得るからだ。だから、AIというものはSF映画にも度々登場するのである。
少なくとも、日本や中国政府は国を上げてといっているが、個人的にAIはそこまで両手を掲げるような素晴らしい代物ではない。むしろ、ナチュラルインターフェースとビッグデータの拡充だけでいうなら、それは人が使うことが出来、価値があるものだと思う一方で、それの加工などが出来る人は、会社には少なくなるかもしれない。規模が小さな事業者なら特に、外部のそれを作っている業者が、設計できる範囲でしか、統計を算出できなくなるかもしれない。
このところ思うのは、あまりに合理化をコンピュータに頼りすぎているということだろうか?
確かに、人員不足によるロボットの活用などは、少子高齢化の日本では有効とされているが・・・一方で、人としては何でもこれが発展すればといって、実際にそれが10年前より所得を増やし、10年前より未来が明るく照らされているかというと・・・。
今や、金融AIに相当するモノは、高速取引をするファンドなどが取り入れている、アルゴリズムシステムがそれに該当するが・・・金融市場はこの大口のアルゴ取引で乱高下も頻繁にある。AIというのは、悪いとは言わないが、これをAIと言うなら、残念ながら日本はAI立国にはなれないだろう。
真のAIをAIと呼ぶか、またはソフトバンクの製品でいうならPepperのような形として人のような製品だけをAIと呼んだ方が良いと私は考えている。解析、分析、ビジネスで用いるシステムは、所詮人が制御できるものであり、それにバグや想定以上の結果が出てくるか否かぐらいの差だ。即ちビッグデータ活用のアルゴリズムでしかない。これを、あまりAIと呼んでいると、アルゴリズムの組み替え差で他の国に出し抜かれる恐れもある。
個人的には、AIで提携よりビッグデータ活用やアルゴリズムで提携といった方が、的を射ている上に、将来的な可能性を分かり易く示していると思うが・・・。
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